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コラム
コラム2024年05月「江別断酒会50周年と江別すずらん病院依存症治療の歩み」
2024年5月19日(日)、江別断酒会50周年の集いに参加してきた。断酒会はアルコール依存症当事者の自助グループ組織、患者やその家族の心の回復においてとても重要な存在である。
1.旧病院時代
私が江別すずらん病院で依存症回復プログラムの一つである勉強会を担当するようになってもう十年以上が経つ。思えば前身の美唄希望ヶ丘病院に着任して最初に担当したのが依存症の患者であった。そして「何かに頼る」というとても人間らしい営みに起因し、薬物療法では解決できず、患者同士の語り合いによって、また患者と治療者の学び合いによって回復していくこの病気に強い興味を引かれた。
しかしながら閉鎖的な長期入院を行なっていた当時の院内には語り合いや学び合いという治療文化は存在せず、依存症と診断された患者もあてのない入院生活を続けるしかない状況であった。
転機は2009年、新しい理事長として伊藤正敏医師が着任したことだ。伊藤理事長は数十年前のやり方のまま凝り固まっていた美唄希望ヶ丘病院に改革をもたらし、入院患者に対する語らいの治療、自由外出、退院支援という本来当たり前の医療が少しずつ動き出した。そしてその流れの中で私も久里浜アルコール症センターへの研修に行かせてもらい、少ない頻度ではあるが院内での依存症ミーティングプログラムが始まった。
2.新病院時代
2012年、ついには美唄の山奥にあった病院を江別の駅前へ移転するという大事業が成された。これにより入院患者は以前よりも街へ外出できるようになり、街の人たちにも心の医療を身近に感じてもらえる機会が増えた。そして、札幌へ近付いたことで新たな入職者も増え、その中には依存症治療に関心を持つ者もいた。
生まれ変わった病院では週2回、依存症の入院患者・外来患者を対象としたミーティングプログラムが開始。これが定着したのは一人の男性看護師が果敢な尽力を続けてくれたおかげであることは間違いない。あえて言おう、勇者であると。
彼は病棟課長職で多忙を極める中でも依存症治療プログラムを運用、時間を割いて外来患者の相談にも乗り、さらに他病院の専門スタッフとも交流を続けいくつもの絆を結んでくれた。その後、精神保健福祉士・作業療法士・心理士たちもミーティングに参加してくれるようになり、月1回の家族会の開催も実現。さらには江別断酒会とのパイプも生まれ、退院後の参加を念頭に入院患者が断酒会のミーティングに出向く流れも定着、この際に患者に同伴してくれたのも彼である。
ミーティング、家族会、断酒会出向。コロナ禍ではそれらの一時中止も余儀なくされたが、2023年には専門部署として依存症課も立ち上がった。中心になってくれたのはもちろん彼、まだまだ道半ばではあるが、江別すずらん病院の依存症治療はこうして歩んできたのである。
3.江別断酒会
そんなわけで普段お世話になっている江別断酒会の50周年の集いに参加してきた。
午前中は講演の時間も与えてもらったので、自分なりの依存症治療への思い、ミーティングの持つ意味などについてお話させてもらった。午後からは開院のみなさんの体験談を拝聴、最後に会長の挨拶で締め括られた。
特に印象的だったのが、「次は100周年を目指して…と言いたいところですが、その頃には依存症という病気がなくなって断酒会もいらなくなる未来も楽しみにしたいです」という言葉。どうなのだろう、医療はいずれ依存症をも克服するのだろうか。そうなったとしても人間が支え合って生きる動物である以上、自助グループというもの、語り合い・学び合いの文化はやはり必要なのではないかと思う。
4.ミーティング
今や依存症に限らず、共通の苦労や生きにくさを持った仲間が集う自助グループはたくさん存在する。私が所属している『視覚障害をもつ医療従事者の会 ゆいまーる』も、目が不自由な医師・看護師・理学療法士・言語聴覚士・精神保健福祉士などが所属する会だが、そのミーティングに参加すると毎回元気と知恵をもらえる。日本各地で仲間も頑張ってるんだから自分も逃げるわけにはいかない、とまた現場に立つ勇気が湧いてくる。人間一人は弱くても、みんなでなら少し強くなれることを感じるのだ。映画ドラえもんの第3作『のび太の大魔境』の主題歌『だからみんなで』が聴こえてきそうである。
世界で最初の次女グループ組織は1935年にアメリカで生まれたAA(アルコホリック・アノミマス)、それを参考に日本の高知県で断酒会が最初に立ち上げられたのが1958年である。江別断酒会の発足が1974年、美唄希望ヶ丘病院の開院が1973年だから同じくらいの歩みということになる。断酒会も病院も必要がないならそれが一番ではあるが、それでも積み重ねたこの半世紀に愛しさと貴さを感じずにはいられない。
5.感謝の言葉
今月末、この十二年間江別すずらん病院の依存症治療を支えたあの男性看護師が部署を去る。組織では世代交代は常、いつまでも頼らずに若い世代が後を継がねばならないのは病院も断酒会も同じなのだが、彼がいてくれなかったらすずらんの依存症治療はとうに立ち行かなくなっていただろう。心からの感謝でいっぱいだ。一緒に東京まで研修へ行ったのも、旭川や千歳へ講習を受けに行ったのも懐かしい思い出。江別断酒会50周年の集いでも、何人もの会員が彼の名を挙げ、ぜひお礼を伝えてと話していた。
本当にありがとうございました、田中課長!
(文:福場将太)