旧美唄病院コラム
2012年1月『新病院調査ファイル(4) 疑惑の薬局長』
私の名前はムーン、刑事である。上司であるカイカン警部と共に昨年からとある医療法人が江別に建設している新病院を調査中である。開設準備室・建設現場を見学した私たちは、昨年末にその医療法人の忘年会に潜入捜査を試みた。一般客にまざってその忘年会を調査したのであるが、そこでまた警部は何かを思いつき、本日のこの事情聴取となった。聴取対象はその医療法人の薬局長・・・私と警部が待ち受ける薄暗いこの個室に彼はゆっくり入ってきた。
カイカン「いやあ、お呼び立てしてすいません。どうぞそちらにおかけ下さい」
警部が愛想よく口火を切る。薬局長は電気スタンドだけが置かれた木製の机をはさんで私たちと向き合う形でイスに腰を下ろした。狭い部屋なので大人3人も入ると息が詰まってしまいそうだ。
カイカン「あらためてごあいさつさせていただきます。先日お電話したカイカンです。こちらは部下のムーン」
私は無言で会釈する。薬局長は特に興味なさそうに視線を天井に向けていた。
カイカン「それでは事情聴取を始めますか・・・、あ、それとも何か飲まれますか?」
薬局長「結構です」
おどけた様子で話す警部にすこしイラついたのか、薬局長は低いトーンで口を開いた。そして、視線を警部と合わせる。
薬局長「それで・・・何のお話でしょう。仕事があるのでできるだけ手短にお願いします」
カイカン「わかりました・・・。まあそんなに身構えなくても大丈夫です。いくつかお尋ねしたいことがあっただけですから。実は私たちはとある医療法人が始めようとしている新病院について調べていましてね」
薬局長の眼光がすこし厳しくなる。それは相手を警戒する獣のように鋭い。
カイカン「あなたは、その法人に所属されていますね」
薬局長「・・・はい。でもそれが何か?」
カイカン「いえいえいえ、病院の移転・新築なんてそうあることじゃありませんから、どうしても興味がわいてしまうんです。実は昨年建設現場を見せてもらったんですよ」
薬局長「そうですか。それで何がお知りになりたいんです」
カイカン「たとえば・・・病院の名前、とかです。今度は美唄から江別に移るのですからやはり名前は変わるのかな、と」
薬局長はすこし猫背になってその毛深い腕を机の上で組んだ。
薬局長「・・・なぜそれを僕にお尋ねになるんですか。職員なら他にも大勢いるでしょう」
カイカン「実は・・・」
警部はそこで人差し指を立てる。これはお決まりのクセだ。
カイカン「昨年末にあなた方の医療法人の忘年会にお邪魔したんですが・・・そこで妙なことに気がつきましてね」
警部はそこで何秒か間をおいたが薬局長は何も返さない。警部は続けた。
カイカン「理事長先生に院長先生、総師長代理に事務長、設計資産までいらっしゃってたのになぜか薬局長の姿が無かった。・・・不思議ですよね」
薬局長「ちょっと用事があってお休みしただけです」
カイカン「最初はそう思いました。しかし職員の皆さんにお伺いすると、あなたは仕事にたいして誰よりも、情熱的でいつもそういった行事には率先して参加している。それなのに・・・」
薬局長「何が言いたいんですか」
警部の思わせぶりな口調に、薬局長はさすがに声を強めた。警部はもちろん動じない。
カイカン「そこでこんな仮説を立ててみました。もしかしたらあなたは実は参加していたんじゃないか、と。そこで忘年会のときの写真をあらためてじっくり見直してみたんですよ。そうしたら・・・」
薬局長の視線が明らかに泳いだ。そのタイミングであらかじめ刑事に用意するように指示されていた写真を取り出し机の上に置いた。
カイカン「・・・いらっしゃいましたよ、あなたが。ほら、この写真を見てください。真ん中に写っている職員ではなくて・・・その後ろにいる着物姿の仲居さんに注目してください」
薬局長は組んでいた腕を解いて机から離した。その瞳はまるで怯える子犬のように無言で警部の言葉の静止を求めている。しかしここで容赦する警部ではない。
カイカン「まさか・・・女装をいていらっしゃるとは思いませんでした。あなたはあの日、温泉旅館の仲居さんとして忘年会に参加していたんですね」
薬局長は大きなため息をついて視線を床に落とした。そう、完全に陥落したのである。
しばらく部屋には重い沈黙が流れた。数分の後、口を開いたのは薬局長だった。
薬局長「刑事さん・・・タバコ、いいですか?」
カイカン「どうぞ」
警部は優しく言う。私も無言でうなずいた。薬局長はタバコに火をつけると、かみ締めるようにそれをゆっくり吸い込んだ。
薬局長「・・・あれも、仕事だったんです」
カイカン「わかっていますよ、あなたが単なる趣味で仲居さんになりすましたのではないってことは。実は忘年会の幹事の方にもうかがったんですけど、あなたは今までどれだけお願いしても余興で仮装や女装をすることは拒否されていた・・・。そんなあなたが仲居さんに変装したのは、上層部からの指令があったからでしょう」
薬局長「・・・さすがですね。そうです、忘年会の最中の職員たちの生の声を聞くように言われたんです。来年度からの病院作りに活かすために・・・」
いつしか薬局長の声もとても穏やかになっている。
カイカン「その指令を出されたのは・・・理事長先生ですね」
薬局長はもう一度煙をゆっくり吸い込んで応えた。
薬局長「何でもお見通しなんですね・・・ええ、その通りですよ。新病院への期待、不安、要望、不満・・・職員の本当の声が知りたかったんでしょう。だから私に変装させてまでそれを集めさせようとしたんです。刑事さん、お願いですからこのことは・・・」
カイカン「言いませんよ、誰にも。ただしその代わりと言ってはなんですが・・・」
薬局長「わかっています、僕の知っていることでしたらなんでもお話しします」
そこで警部はチラッと私のほうを見る。私は手帳を取り出し、あらかじめ準備しておいた質問項目を確認した。
ムーン「それでは・・・、先ほど警部もおっしゃいましたが、肝心の病院名はもう決まっておられるのでしょうか」
薬局長「・・・ええ、紆余曲折ありましたがようやく決定しました。私たちの医療法人の中心となる新しい病院の名前は・・・」
一瞬の間をおいて、彼ははっきりと言った。
薬局長「江別すずらん病院です」
・・・すずらん、確かにあの建物を見に行った時そんな香りがしていたような気がする。そうか、江別を彩っている花の名前を使ったのか。私は警部と訪ねたあの風の吹く街を思い出していた。
ムーン「・・・素敵な名前だと思います」
薬局長「ありがとうございます」
薬局長は無邪気な子供のように微笑んだ。警部も長い前髪の奥で微笑んでいるように思える。
カイカン「いやあそうですか。実は以前に私が扱った事件ですずらんの根っこにある毒を使ったものがありましてね・・・」
コラコラおっさん、あんた何言ってんのよ。私は得意げに話しだそうとする警部の言葉を遮って質問を続けた。
ムーン「あの、ええとですね・・・そう、薬局長さんの仕事も新しい病院になると色々変わるのでしょうか」
薬局長「そうですね・・・今度は外来に力を入れますのでそのお薬も作らなくてはいけません。入院の患者さんと、外来の患者さん・・・忙しくなりそうです」
ムーン「院内薬局、というものですね」
薬局長は笑顔でうなずく。この前開設準備室に行った時もそうであったが、何かが始まる直前というのはきっと忙しいがそれ以上に楽しい時間なのだろう。
その後も私たちは薬局長に新病院建設にたどり着くまでの思い出話・苦労話をたくさんうかがった。警部も笑いながらツッコミを入れたりボケたりしながら聞いていた。もはや事情聴取ではなくただの座談会だ。話も一通り尽きた後、薬局長は「そろそろ仕事に戻ります」とタバコを消して席を立った。最初の重苦しい雰囲気はどこへやら、私も笑顔で見送る。そんな時またおっさん・・・もとい警部がとんでもないことを言った。
カイカン「薬局長、最後にもう1つだけお願いがあります」
薬局長「何ですか」
振り返りながら答えた薬局長に、警部はついに最後の砦を口にした。もはや警部の表情から笑顔は消えている。
カイカン「すいません・・・理事長先生にアポをとって頂けますか?」
刑事カイカンとムーンの調査ファイル、次回いよいよ完結。
(文:福場将太 写真:ルーカス矢里)