旧美唄病院コラム
2011年12月『忘れたくない忘年会』
みなさん、お疲れ様です。みなさんもご存知の通り、「美唄希望ヶ丘病院」という名前だった頃から数えると40年以上の歴史を持つこの美唄病院も今ひとつの節目を迎えようとしています。来年から江別の新しい病院でより患者さんに満足してもらえる医療をやっていけると思うと、勿論、期待は大きいですしワクワクもするのですが・・・やはり同じくらい寂しさや名残惜しさもあるかな、とそんな気持ちです。まあしかし医療と言うものが日進月歩で進化していくように、人も、心も、建物も・・・そして私達1人1人の人生も、移り変わっていくしかないのでしょう。
本日ご出席頂いた皆さんの中にも、病院が始まった最初の頃からもう何十年働いてるぞっていう人もいれば、最近仲間に入ったという人もいるでしょう。そして、その時代その時代そこにいてくれた職員の存在があったからこそ、美唄病院は40年以上も続いてこれたのでしょうし、これからも続いていけるのだと思います。そしてこの40年で一番の功労者はいったい誰か、となるとそれはもうあの病院の建物ですよね、長い間患者さんと職員を守ってくれたあの建物も、最近だいぶ体にガタが来ているようで、来年の春には眠りにつこうとしています。今日はあの建物と、職員のみなさんに心から感謝したいと思います。最期の忘年会にたくさんのご参加を頂き、本当にありがとうございます。(医療法人倫生会 親睦会会長 福場将太)
・・というのは、去る12月8日に美唄のゆ〜りん館で行なわれた忘年会におけるあいさつの原稿です。美唄病院、美唄メンタルクリニック、そして今年から仲間に入った北広島メンタルクリニックから90人を超す多くの出席を頂きました。来年から江別で始まる新病院の設計士や入職予定者もゲスト参加された一方で、スライドで振り返る40年の歴史、勤続年数ベスト1発表などまさに過去と未来が融合した忘年会でした。親睦会役員のみんなと前日の夜にビンゴの景品を会場に運び込みながら、さながらサンタクロースのようでしたが・・・こんなことももうないんだなあと思うとなんだかやっぱり考え深かったです。職員のみんな、思いも事情もそれぞれだとは思いますが。みんなで過ごした最後の忘年会を忘れずにいてくれたらと思います。
最後になりますが、今回の忘年会に寄せて、歴代の恩人の方々からメッセージが届きましたので、一部ご紹介したいと思います。恩人の方々、数々のお力添えを本当にありがとうございました!
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「丹精込めたりんごを毎年贈って頂き有難うございました。私の事を覚えて下さり感謝しております。宮崎よりエールを送ります。」(医療法人倫生会 三州病院 前理事長 横山憲三先生より)
「人は歳月のみで老いない。希望を失った時に老いる。『美唄病院』が『江別すずらん病院』に受け継がれ、頭を高く上げ、希望の波をとらえられん事を祈っております。」(医療法人倫生会 美唄病院 前院長 有吉孝雄先生より)
「皆様のお力を借りながら、励まし合いながら貴重な経験をさせて頂きました。いまでも私の財産になっております。これまで美唄病院を支えてくださった全ての皆様に感謝します。」(医療法人倫生会 美唄病院 前事務長 高尾 徹さんより)
「ふた冬にひと夏。短かったけど良い経験、思い出になりました。個人的には『美唄病院マガン荘(我慢そうではない)』とか『美唄小白鳥病院』とかで美唄に残って欲しい気持ちもあったのですが、新しい職場も楽しく、人生も楽しくあるように記念しております。」(医療法人倫生会 美唄メンタルクリニック 前院長 渡邊克巳先生より)