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コラム
コラム2024年07月「ゴンドアの谷に憧れて」
今月から我が法人に大きな変革が起こった。それは電子カルテの導入である。使いこなすことができれば確かに便利になる作業も多い。そこまでたどり着くために現在美唄でも江別でも北広島でもスタッフを挙げての奮闘中である。
それにしても、医療に限らず、世の中のデジタル化・IT化の激しさには正直驚かされる。今やメールでのやりとりが当たり前、駅も自動改札が当たり前、コンビニやスーパーもセルフレジ、空港やホテルのチェックインまでスタッフいらずのセルフが当たり前ときたもんだ。出勤や残業をアプリで管理する会社もあると聞くし、オンラインの会議や講演会もすっかり日常、地球の裏側のイベントにだってワンタッチで参加できてしまうのである。
確かに世の中どんどん便利になっている。ただ忘れてはならないのは、それは全ての人にとってではないということ。例えば歩行などに助けを要する人にとっては、セルフの機械ばかりが並んで声を掛けられるスタッフの数が少なくなるのは困りもの。僕のように目が不自由で音声読み上げソフトでパソコンを操作している人間にとっても、使い慣れたシステムが変わってしまうのは難儀。相談窓口に電話したのに自動音声で「サイトで情報をご確認ください」なんて返されてしまうことも多いが、それができないから電話している人たちも一定数いるのである。
また、便利な暮らしイコール豊かな暮らしということでもない。オンラインのおかげで移動の手間が省けて余裕ができたかというとむしろ逆で、今までは休みだった夜間や休日の時間にまでオンライン会議が侵食している。孤独の中にいる人がふと入った喫茶店の店員さんの優しい言葉に癒されるなんてことも、残念ながらセルフ注文・セルフレジでは起こりえない。病院に受診しても「お大事に」と会計機の自動音声に労われて帰宅する…はたして僕たちの生活は豊かになっているのだろうか。
名作アニメ映画『天空の城ラピュタ』において、科学力を極めたラピュタ人は城を天空に浮かべるまでに至ったが、やがてその文明は滅んで地上に降りた。そしてゴンドアの谷で自然と共に暮らす一族と、ラピュタへの憧れを捨てきれず再び天空へ戻ろうとする一族に分かれた。確かにゴンドアの谷の生活は素朴で貧しい。派手な娯楽もなく病気になっても治療の手立てはない。一方、ラピュタでの生活は最新鋭の技術に囲まれていて、きっと刺激的な娯楽や医療技術も充実しているのだろう。しかしゴンドアの谷の少女は心優しく、ラピュタの男は冷淡で人の命を何とも思わない。そして少女は視力が良く、男は弱視、それが採集血栓の勝敗を分けた。
要するに人間はないものねだりなのだろう。ゴンドアで暮らすとラピュタに憧れて、ラピュタで暮らすとゴンドアに憧れる。
なんだか最近はゴンドアの谷に行きたくてしょうがない。
(文:福場将太)