コラム

2022年04月「QOL」

 以前のコラムでも書いたが僕は広島の出身だ。だから小学生の頃から平和教育というものに触れる機会が多く、太平洋戦争や原子爆弾に関する映像作品を見たり、実際の体験者から話を聞いたりしてきた。また祖父母からも当時のことを教えてもらったりした。考え方や価値観は人それぞれだったが、誰もが「戦争だけはしちゃいけない」と口を揃えて言っていたのが子供心にとても印象に残っている。だからこそ今起きている事態、戦争の報道には心が拒絶反応を示している。理屈よりもまず先に不快感と嫌悪感のようなものが込み上げてしまう。

 そしてふと一つのドキュメンタリー番組を思い出した。それはタイの洞窟の奥に閉じ込められた子供たちの救出劇で、貯留した雨水のせいで通常の救援活動が不可能、洞窟内の酸素がもつタイムリミットも迫る中、現地の救急隊だけでなく潜水士や海外の専門家にも協力要請、実際に臨場してもらって前代未聞の方法で子供たちを助け出したという内容だった。あの時は命を助けるためにたくさんの人たちが知恵を絞り努力を惜しまなかった。普段の医療の現場でもそうだろう。消えかかった小さな命の火を何とかして何とかして守ろうとする。それくらい命は貴いものだから。何十億人も人間がいてその中のたった一つの名もない命でも、それは何より尊重されるべきものだから。

 しかし戦争の時はそうではない。普段あれだけ大切にしているはずのものがあまりにもたやすく奪われていく。まるでお金を湯水のように使うみたいに命が消費させられていく。
 当たり前にあったはずの街が、家が、風景が、家族が、友達が、恋人が、将来が、夢が、当然のように失われていく。そしてそんなことよりも生きるか死ぬかだけが問題になっていく。

 この価値観の激変は何だろう。医療者が守ろうとしている命、戦場で奪われていく命、どちらもおんなじたったひとつではないのか。

(文:福場将太)

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