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コラム
2022年03月「終わりよければ」
3月は卒業式の季節、学生時代の終焉であり社会人にとっても年度末である。「終わりよければ全てよし」という言葉があるが、確かに物事の最後が満足のいく形だと途中経過の不満も容認できたりするものだ。色々うまくいかないこともあったけどせめて最後くらいは綺麗に終わりたいというのは人情、人生の最後を本人の納得のいく形で迎える尊厳死はとても意義深いことだと思う。
ただ一方で、死については納得いく形で迎えるのが難しい場合も少なくない。突然の急病、事故や事件に見舞われて命を落とすことだってある。新型コロナウイルスに感染し、心の準備もなく入院となって家族と言葉も交わせないまま今生の別れを迎えた人たちもいる。ウクライナの戦場でも突然の死を選ばされた人たちがたくさんいる。
尊厳死は大切だ。でもそんなことを考えている余裕もない死があるのも現実、悠長に「終わりよければ」とはいかない人生もあるのだ。だからこそ、命の落とし方は無念だったとしても人生そのものを無念だと思わないために、やっぱり終わりだけではなく途中経過も大切にしなければと思う。
「終わりよければ全てよし」は間違ってはいないが、「終わり悪ければ全て悪し」ということではけしてない。
避けられない突然の悲劇もある。最後の晩餐に一番好きな物を食べられるとは限らない。臨終の時に一番好きな人のそばにいられるとは限らない。例えそうでも「終わりはイマイチだったけどそこまでの途中経過はよかった」、そう思える人生にしなければと感じる。つまりは今、確かに生きている今という時間を大切にしなければならない。
不安だらけの時代だけど、『尊厳生』について考えてみよう。
(文:福場将太)