コラム

2022年02月「堕落のシナリオ」

 日本でもコロナが流行して丸二年が過ぎた。オンライン会議、リモートワークなんて言葉も当たり前に聞かれるようになった。心の医療でも、感染状況に合わせてデイケアの頻度を患者さんに減らしてもらったり、プログラムの内容を変更したりと臨機応変が常であり、その度に悔やむことはなくなった。

 多くの社会人がこの二年間でそんな柔軟さを身につけていったと思うが、一方でだらしなさも身についてしまったように感じる。それはそうだ、在宅で仕事となればどうしても緊張感は緩む、頑張って準備しても中止になるかもしれないと思ったらどうしても手は抜いてしまう。もちろんどこがゴールかわからないマラソンを続けるためには、無理をせずに余力を残すことが大切なのだが、これは一歩間違えると頑張る情熱を失う堕落の道へとつながってしまう。世の中に対しても、自分自身に対しても、最近そう感じることが多い。

 今はコロナだからしょうがない、まあこれくらいでいいかな…そんなふうに仕事に対する緊張感や責任感が薄らいではいないだろうか。全力を尽くすことの大切さを忘れかけていないだろうか。
 リモートワークが導入され始めた時、断固それに反対した人たちがいると聞く。その人たちは「頭が固い」「柔軟さがない」「考え方が古い」と揶揄されたりもしたが、もしかしたらリモートにすることでの堕落の危険を感じ取って反対していたのかもしれない。ちゃんと服を着替えて、ちゃんと出勤して、ちゃんと時間と空間を共有してこそ保たれる緊張感・責任感があることを知っていたのかもしれない。

 「だらしない」という言葉の語源は「自堕落」だという。いずれコロナの時代が終わった時、失われた情熱、緊張感、責任感をちゃんと再沸騰させてまた全力を尽くすことができるだろうか。

(文:福場将太)

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