コラム

2021年06月「ネオ幸福論」

 ジューンブライド。その由来は、天候が不安定なイギリスでも6月は比較的晴天に恵まれるのでそこで結婚できる花嫁は幸せだというお話。日本における6月は梅雨真っ只中で祝日もなし、必ずしも結婚式に相応しい季節とは言えないが、ジューンブライドに幸せの願いを託す気持ちはやはり変わらないのだろう。参列者から送られる言葉も「お幸せに」がいつの時代も定番である。

 結婚に限らず、幸せというテーマはもちろん医療でも重要だ。ただあまり積極的に普段の診療やカンファレンスで話題に出すことは少ない。結局何が幸せかを決めるのは本人であり、医者から見て幸せでも、本人がそう感じていなければそれは医者の自己満足だし、逆に医者から見て幸せとはいえない状態でも、本人がそうなんだと言うのならそれが全てだからだ。体の健康はともかく、心の健康は本人が幸せだと言っているのに不健全とするのはなかなか難しいのである。
 また幸せという言葉を多用すると、医療というより宗教のような雰囲気になってしまい、特に精神科は一歩間違えるとそうなるリスクを多分にはらんでいるため、余計に幸せがどうこうという話題は避けてしまうのかもしれない。ただの言葉遊びなのはわかっているが、病院の理念でも「患者様の幸せを」なんてするより「患者様のウエルビーイングを」とした方が、なんだか医療っぽいのである。
 さらに、病気は治せても患者を幸せにできない医者もいれば、病気は治せなくても患者を幸せにできる医者もいる。これが精神科の難しいところであり、どちらが名医なのかを論じ始めるとおそらく大変なことになってしまう。だからやっぱり幸せの話題はついつい控えてしまうのである。

 精神科に通っている患者さんの中には、幸せになるのが苦手という人もいる。けして嫌いというわけではないのに、幸せになれそうなチャンスをわざと遠ざけたり、手にできる幸せを遠慮してしまったりする。まあ医者の傲慢なのだけど、でも、できたらやっぱり患者さんには幸せになってほしい。こんな時代でも、いやむしろこんな時代だからこそ、幸せになりたいというエネルギーを解き放ってほしい。

 幸せが苦手なあなたに、幸せになってほしくてしょうがない。

(文:福場将太)

前のコラム | 一覧に戻る | 次のコラム