コラム

2018年10月「受け継がれる魂」

受け継がれる魂

 母方の実家は広島の片田舎にある。今でこそ道路も整備されたが、子供の頃は峠のうねり道を父親の車で上がったり下がったりしながら4時間以上かけてようやくたどり着くという途方もない遠さで、いつも到着する頃にはヘロヘロになっていた。そして母親の家系は代々その町で一つの病院をやっていた。母親が小学生の頃に100周年記念が催されたそうだから、今は開院150年くらいにはなるのだと思う。僕も子供の頃は中を見せてもらったり、風邪で点滴してもらったり、お昼ごはんに病院食を食べさせてもらったりした思い出がある。
 今年は何かと終わりを感じる年だと少し前のコラムでも書いたが、ここにきてまた一つ大きな終焉が訪れた。その病院が先月をもって閉院したのである。もちろん建物や診療科は時代によって変化してきたのだが、初代院長の子孫がその地で代々看板を引き継ぐのはひとまず打ち止めとなった。僕が知っているのは150年の中のほんの一握りだが、末裔の一人としてこの時を心に刻んでおきたい。そして考えてみたい。

 伝統という美学がある。先人たちが守ってきたものを受け継いでまた次の世代へ伝えていくということだ。病院に限らず和紙や陶磁器などの工芸品、歌舞伎や落語といった芸能、飲食店の秘伝の味、大手企業から国事に至るまで伝統が支配している部分はとても大きい。
 例えば僕の高校では体育祭を三年生の生徒主体で運営する慣例になっていたが、あれも伝統のなせる業だった。代々やってきたからこそ、メリットとデメリット、リスクとベネフィットに関するデータが豊富にあり、先生方も安心して生徒に任せてくれたんだと思う。もし伝統のない状態でゼロからあの体育祭を立ち上げろと言われたら、到底一年間では不可能だ。受け継がれたノウハウがあるからこそ可能になることはたくさんある。

 しかしあえて問いたい。伝統は義務なのか?実際に体育祭においても、夏休みを潰してまで準備なんてやりたくないと主張する生徒も少なからずいた。その気持ちも十分わかる。大学医学部においても、親の姿に憧れて自分も医者を目指したという学生もいる一方で、医者になんかなりたくなかったのに子供の頃から病院を継げというプレッシャーの中で育てられてしょうがなくここに来たという学生もいた。伝統を受け継ぐことに有難さや使命感を感じられる者もいれば、つまらなさや窮屈を感じる者も当然いるのである。僕自身も少なからずそういったプレッシャーを感じていた時期もあるし、今でもテレビのドキュメンタリーで伝統を継ぐ若者の姿を見たりすると、立派だと思う一方で心配な気持ちも生まれてしまう。

 だから一概には言えない。当たり前の結論になってしまうが、伝統に従うのが最善な時もあれば、縛られない方が正解の時もある。小説や漫画においても長く続けたからこその名作もあれば、ちゃんと完結したからこその名作もある。歴史を見ても、伝統の力で存続した国もあれば、古い慣例にしがみついて衰退した国もあるのだ。
 それにどれだけ他者が干渉してもその人の人生の責任者はその人でしかない。いくら伝統でも本人が断固たる意志でそれを拒んだらさすがに受け告げとは言えない。それを罪深いと非難するのは酷だろう。後世を生きる者はけして伝統の奴隷ではないのだ。

 そしてこうも思う。伝統を受け継ぐとは必ずしもそのまま続けるということとは限らないのではないかと。時代が変われば人も変わる、社会も変わる、価値観やモラルも変わる。状況が変わっているのに昔と同じことをそのままやれというのは無理がある。形が変わってしまうことに悲しさや怒りを感じてしまう人もいるが、変化は致し方ないことだと思う。むしろ形は変わっても、先人たちの教えや誇りをちゃんと受け継いでいけたらそれでよいのではないだろうか。

 先月、母方の実家の病院が閉院したことは確かに少し寂しかったが、それ以上に誇らしかった。僕が暮らしている美唄でも強く感じることだが、都会から離れた場所で病院を維持するのはどんどん大変になってきている。そんな中150年も続けてきたのは驚異だし感服しかない。無理すればもっと年数を延ばすこともできるのかもしれないが、ここから先はそれよりも一度完結させて次世代へ自由な可能性を残す、そんなタイミングとしては今がベストだったのかもしれない。
 うちの法人も、美唄希望ヶ丘病院を完結させて江別すずらん病院を立ち上げた。美唄に思い入れがあった者からすればそれは非情な決断にも思えたかもしれない。しかし始まりがあれば必ず終わりもある。それはいつか誰かが必ずしなくてはいけない決断なのだ。

 まあ僕の浅はかで無責任な見解は置いておいて、実際に広島の片田舎で完結の日まで功労した四代目院長夫妻には心より感謝を伝えたい。
 お疲れ様でした、とてつもなくご立派でした。

 そんなこんなでどうする僕たち五代目世代。僕自身は自分のやりたいことを最優先してしまう人間なので、正直受け継ぐとか伝えるとかにはあまり人生の重きを置いていない。医療の歴史に何かを刻みたいともさほど思わない。
 それでも先人たちがいたからこそ自分が存在しているのは間違いない。伝統を守ってきた人たちのことを尊敬もしている。今僕が当たり前のように仕事で用いている知識、医学書の片隅の一文の記載だって、きっと一生かけてそれを解明してくれた誰かがいたおかげなのだから。

 三代目に当たる母方の祖父はひどいリウマチになっても車椅子で院長回診をしていた。診療所を営んでいた父方の祖父は病を患いながらも亡くなるその日まで患者さんを診察していた。僕にはとてもそんな生き方はできないけれど、その魂は少しだけ受け継ぎたいと思う。
 僕だけではない。別に医師免許の有無も関係なく、先代たちの魂はちゃんと五代目従兄弟たちに受け継がれている。ひいてはきっと六代目世代へとほのかにおすそ分けされていくのだろう。
 国が消えてもその大地に吹く風がどこか変わらないように。

(文:福場将太 写真:カヤコレ)

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