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コラム
2016年3月「必要な負荷」
心の健康を維持するために必要な物は色々あるが、そのうちの重要な一つは『負荷』…すなわちストレスである。意外に思われるかもしれないが、負荷は私たちが生きていくためには欠かせない要素なのだ。
もちろんあまりに負荷がかかり過ぎると心は折られてしまう。社会人にとってその最たる物はやはり仕事だろう。だから精神科や心療内科では患者の回復のために休職を求める診断書を発行したりする。ゆっくり休むことで体と心に元気を取り戻せるのだ。
しかしながらずっと休職を続けていれば健康かというとそうでもない。毎日が休日になると人はどうなるか…みなさんも夏休を思い出して頂ければわかるだろう。そう、生活リズムが乱れてしまう。朝ちゃんと起きて、決まった時刻に食事を摂って、日中は活動して、夜になったら寝る…一日自由になると人間はこれができなくなるのだ。自分で用事を作ってそれだけで規則的な生活を送れる人はほとんどいない。ちょっとだるかったり面倒くさかったりすればさぼってしまうのが人情だ。だからこそ、学校や仕事といった『やらなくちゃいけないもの』という負荷を与えることによって生活リズムは正されるのである。夏休みのラジオ体操も、運動をするということ以上にこの目的が大きいと思う。つまるところ人間は確かに仕事というストレスによって病気にもなるが、そのストレスによって健康を維持されている部分も多分にあるということだ。よって心の医療においても、休職の後半はただ休むだけでなく復職へ向けての活動をするのが基本となる。
また意欲の面からも、負荷がなさ過ぎるのはよくない。確かに親の仕事を継がなくてはいけないなどのしがらみはストレスだ。好きなことをしたいのにそれができないのは苦しい。でもだからこそ訪れた休日に夢中になってやりたいことに勤しめたりする。趣味もレジャーも、毎日24時間自由があると、かえってやらないもの。不自由という負荷があるからこそ、やりたいことへの意欲が湧くのである。
もちろん好きなことが全くできない、余計に生活リズムが乱れてしまうくらいの強過ぎる負荷はまずい。全てはバランス、ほどほどに『やらなくちゃいけないこと』という負荷が大切ということだ。
それ以外に大切な負荷としては、『満たされなさ』がある。もちろん欲しい物が満たされないのはストレスだが、だからこそ人は頑張る。
映画『紅の豚』のエンディングテーマにこんな歌詞がある…「お金はなくてもなんとか生きてた 貧しさが明日を運んだ」と。現代社会ではとても信じ難い話にも思えるが、貧しさという負荷が人々を明日へ向かって後押しした時代もあったということだ。
他にも、孤独・恐怖・後悔・叶わない願い・病苦・別れ…生きていれば多くのストレスが誰にも加わる。でもだからこそ人は生きていけるとも言える。コンプレックスやハンディキャップだって、背中を押してくれるロケットエンジンになるのだ。
わかっている。肯定的に捉えることなんてとてもできないくらい残酷な負荷もある。その負荷のせいで生きる気力も失ってしまうことがある。そしてそれはなにも弱い人間ではない。強過ぎるストレスがかかれば誰だってそうなる。友人・家族・自分自身…けして例外ではない。
だから全ての負荷が必要だとは言わない。穏やかに生きていければそれが何よりだ。しかしこれだけは間違いない。負荷にさらされなかった人間よりも、負荷を乗り越えた人間の方が圧倒的に強い。
足りない物があるからこそ必死に求める…その渇望がもともと満たされていた人よりも多くの物を手にするかもしれない。偽物だからこそ誰よりも本物になろうとする…その気持ちが本物では辿り着けない場所に届くかもしれない。
ストレスの渦中で苦しんでいる人には無責任に聞えるだろう。綺麗事に思えるだろう。それでも心の医療者としてあえて言う。信じてみてほしい、その負荷はエネルギーを生み出すかもしれないことを。今日まで生きてきたあなたは、必ず強さも持ち合わせていることを。
人間はいつか必ず死ぬ。寿命だけは誰も逃れることができない負荷。幼い頃、人はどうして死ななくちゃいけないんだと尋ねた私に母はこう言った…「命が永遠だったら誰も頑張らなくなる」と。死さえも、人が生きていくために必要な負荷なのかもしれない。
心の医療者として、負荷をエネルギーに変える導き手でありたい。
(文:福場将太 写真:カヤコレ)