コラム

2013年04月「音楽の神様」

 私は彼のことをMJと呼んでいた…というか彼自身がそう名乗っていた。彼と出会ったのは私が大学に入学した18歳の春、入部した音楽部に彼はいた。医学部の音楽部なんて所詮学生のお遊び…そんなふうに思っていた当時の私の予想は大きく覆されることとなった。確かにそこにいる部員たちは大前提として医学生だ、ミュージシャンを夢見て上京しバイト暮らしをしながらライブ活動やオーディションでデビューを目指しているわけではない。しかし音楽を好きな気持ち、情熱や真剣さはけして負けてはいない。中には技術や感性だってそこらのアマチュアバンドと比べたってけして負けてはいない者もいる。実際に定期的にライブハウスに出演しファンを増やしたり、プロのミュージシャンのバックバンドにバイトで参加したりしている部員もいた。私は自分の浅はかさと未熟さを思い知った。

 まあそんなわけでただの学生バンドに留まらない部員も多かった我が母校の音楽部なのだが、その中でも群を抜いていたのがMJだ。技術や感性が際立っていたのも確かだが、それ以上に彼の音楽に対する姿勢・信念・考え方は「どうしてあなたは医学部にいるんですか?」と思わず質問したくなるほどスケールが大きなものだった。私が入部した時、先輩であった彼はすでにいくつかの伝説を残していた。彼は入学式において学長に「僕は医者にはなりません」と高らかに宣言、自らをMJと名乗った。数々の楽器を弾きこなし、しかもそのステージパフォーマンスがすごい。キーボードを演奏すればまるで猫が引っかくように両腕を素早く動かし鍵盤を弾く。さらにはナイフを鍵盤に突き立てたり、自らキーボードの上に横になりゴロゴロ転がることで全身で鍵盤を弾くなどした。ベースを弾けばまるで何かに取り付かれたかのように全身を躍動させリズムをとりながら太い弦を力強く弾く。実際に私もそのステージを見た時驚愕した。ギターでもドラムでもとにかくMJの瞳はどこか人智を超えた色を放ち、常人ではないオーラをまとっていた。実際に彼は言う…「演奏していると音楽の神様が降りてきて、どんなふうに演奏しても絶対ミスしない状態になることがある」と。
 …まあここまで書いてきて、「ただの音楽オタクの変人じゃないか」と思った方も多いだろう。実際に彼は学内でも部活内でも少なからず浮いた存在だったと思う。でも私はこの医学部という閉鎖空間の中で、無言に敷かれている数々の常識にとらわれず『定型』を打ち破るその姿に強い魅力を感じた。コピーバンドよりオリジナルが好きだったこと、バック・トゥ・ザ・フューチャーの大ファンだったことなどが共通して私はMJに可愛がってもらえるようになったのは本当に嬉しかった。MJは私に音楽の楽しさをたくさん教えてくれた。こういうふうに弾けばこういう効果が出る、この音をルートにすればこの和音はこういうふうに解釈できるなどなど、技術から理論に至るまでMJから学んだことは本当に多い。ユニットやバンドも一緒にいくつかやらせてもらった。MJと組むとただの企画バンドだったとしても必ず学ぶことがある、そしてさらに音楽が好きになる。ある時はトランプを使って出たカードによってコード進行を決めるという挑戦をしたが、出来上がって演奏した時彼はあまりの面白さに床に倒れて笑い出しそのまま失神してしまった。ある時は合宿先で彼はどこかで手に入れた外国の民族楽器を鳴らしながら宿舎内をさまよい、不審者と間違われた。自分1人で何十人ものパートを多重録音した大合唱を用意してきたこともあった。MJは数多くの国内外の楽曲を熟知しミュージシャンにも詳しい。その中でもプログレシブロックを好み、彼が作る曲は拍子もメロディも一筋縄ではいかない。そのため彼とバンドをやり過ぎると、一般的な4拍子や3拍子が逆に気持ち悪くなるという減少が部員内に起こったりもした。彼の家に遊びに行くと、部屋はベッドの上まで楽器や機材でいっぱい…いったいどこで眠っていたのか。MJにごはんをおごってもらった時、「ご馳走様でした」と伝えると彼はこう答える…「音で返せ」と。

 正直、MJの求めていたもの、伝えようとしていたことは完全に周囲の理解を超えていた。試験前だというのにスタジオに入ってレコーディングしたり、病院の食堂で突然ベースを弾いて顰蹙を買う姿に眉をひそめる者が大多数だったのも無理はない話だ。でも、彼にとってはそんなことどうでもよかったのかもしれない。自分が好きなことをただ全力でやる、それはまるで呼吸をするのと同じように彼にとっては当たり前のことだったんだろうから。MJの言葉で一番印象に残っているのは…「たとえ体が動かなくなっても何とかして自分は音楽をやる」、その情熱は心から敬愛している。

 大学を卒業してもう随分時間が流れた。今でも時々MJが作ったCDを聴くことがある。そこには、彼の楽しそうな音が詰まっている。彼の一生懸命が詰まっている。彼が現在どこでどうしているかは…まあ言わずもがなというものだろう。

 今でも懐かしく思い出す。私が部室を訪れると大抵そこにいたMJ。もう誰も弾かない古いピアノに座り、優しい瞳で楽しそうに、時にはどこか淋しそうに…タバコの灰まみれになってピアノを弾いていたMJ。もしかしたら彼は音楽の神様の生まれ変わりだったのかもしれない。私が今でも音楽を好きでいられるのも彼の魔法なのかもしれない。
 4月、みなさんにもそんな素敵な出会いがありますように。

音楽の神様

(文:福場将太 写真:あの頃の福場将太)

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