コラム

2012年10月★スペシャルコラム『刑事カイカン 支持的受容的完全犯罪(4)』

※このコラムノベルはフィクションです。

■ムーンの視点 その4

 水曜日、午後2時。警部と私は警視庁のいつもの部屋にいた。昨日は1日に2度も飯森医師に会いに行った警部だったが・・・今日は朝からずっと自分のデスクに座っている。右手の人差し指を長い前髪に絡ませながら・・・ずっと考え事を続けているようだ。

「警部・・・よろしいですか?」
 沈黙に耐えかねて私は口を開く。
「警部は、やはり飯森唄美先生を疑っておられるんですか?」
「・・・そうだね」
 警部は小さくそう答える。それ以上言葉が続かないのを確認して、私は言った。
「確かに・・・警部のおっしゃってる疑問点はわかります。
飯森先生が『佐藤』という名前を聞いて患者よりもMRの方を思い浮かべたこと、被害者の携帯電話のスケジュール帳に『I・U』のメモがあったこと、事件当日飯森先生は現場のホテルにいたこと、そして事件前日の金曜日にいつものレストランに行かなかったこと・・・。
どれも怪しいと言えば怪しいです。しかしどれも状況証拠ですし・・・他の理由で説明がつくのではないでしょうか?」
 警部は黙っている。私は続けた。
「例えば・・・レストランに行かなかったのは疲れていたからたまたま行かなかったという彼女の説明は別に不自然ではありません。現場のホテルにいたのも学術講演会に出席するためですし・・・。
メモのイニシャルにしても通常はファーストネームを先に書きますから、ウタミ・イイモリで『U・I』が自然です。だからあのメモは彼女とは無関係かもしれません。
『佐藤』と聞いて患者よりMRを思い浮かべたというのも・・・本人が言うようにたまたまでもおかしくありません」
「確かにね・・・」
 と、警部。あまり納得していない様子だ。
「それでも警部は彼女を疑われるのですか?」
「・・・そうだね。もう1つ引っ掛かってることがあるんだ」
「引っ掛かってることって・・・」
「う〜ん、でもなぁ・・・」
 警部はまた黙り込んでしまう。私は手帳を開き、確認しながら再び口を開く。
「仮に彼女が犯人だとしても、犯行時刻には講演会の会場にいたというアリバイがあります。彼女が出席した講演会第2部は午後6時から9時まで、犯行時刻は7時から8時の間ですから・・・犯人だとすれば途中で抜け出したことになります。
トイレ休憩を使えば不可能ではないと思いますが・・・講演会を抜け出した証拠も、現場の1215号室にいた証拠もありません」
 そこで警部も口を開く。
「講演会の会場には300人くらいの人がいた。唄美先生の行動に注目していた目撃者がいるとは考えにくい。
第2部は1時間ずつ3つの講演があって、その間の7時と8時に2回のトイレ休憩があった。・・・もしそれを利用したのなら、7時に会場を抜け出し、8時に戻ったことになる。もしそうなら、先生は2つ目の講演は聴いていないはずだ」
 私は黙ってうなずく。警部は続けた。
「でも先生は・・・講演の内容は3つとも憶えてるとおっしゃってた。もちろんボイスレコーダーを使えば後で録音を聴くことは可能だろうけど・・・」
「彼女がそうした、というのを証明するのは難しいですよね」
「・・・その通り」
 警部は力なくそう言う。
「警部・・・私は動機もわからないんです。医者がMRを殺害する理由は何でしょうか?今のところ被害者との間に個人的な付き合いがあったという情報はありませんし・・・」
 警部には申し訳ないがまだわからないことが多過ぎる。
 飯森医師を犯人として逮捕するためには・・・会場にいたというアリバイを崩し、なおかつ現場にいたことを証明し、犯行動機も明らかにしなくてはならない。現状では・・・とても難しいことに思える。

「あ〜、頭がこんがらがる!」
 警部が背伸びをしてそう言った。
「こういう時はもう一度経過を整理するのが一番!ムーン、白い紙ちょうだい」
 警部はそう言って左手を差し出す。私は自分のデスクから適当な紙を取って渡した。
「ありがとう。ええと、まずは事件当日の土曜日・・・第一発見者は」
 警部はそう言いながらボールペンを紙に当てる。しかし・・・ペンは止まったままだ。
「ムーン、ナガシマさんってどういう漢字だっけ?長野県の『長』?」
「いいえ、永遠の『永』です。シマは広島県の『島』です」
「そっか。ナガシマって色々あるから難しいよね、フフフ」
 警部はそう言って笑ったが、やはりペンは動かない。まだ漢字がわからないのだろうか?
「・・・警部?」
 よく見ると警部は自分が右手に握ったペンを見つめているようだ。
「どうかされましたか?」
「これ・・・唄美先生にもらったボールペンなんだけど・・・。ほら、講演会の受付で配られてたやつ」
「ええ、メロディアス製薬のボールペンですよね・・・薬の名前が入った。特に珍しい物ではないと思いますが」
 警部は小声で「もしかしたら・・・」とくり返している。
・・・何だ?警部は何を・・・。
「ムーン!」
 警部は突然そう大声で言って立ち上がった。な、何だ?何だ?
「車出して!もう一度、メロディアス製薬の永島さんのところに行くよ!早く!」
「は、はい!」
 警部にせかされて私は部屋を飛び出す。
・・・わかんないなあ、いつもながら。いったい、ボールペンで何がひらめいたっていうんだ?

 午後3時、メロディアス製薬駐車場。外回りから戻ってきた永島を私たちは捕まえた。
「刑事さん・・・どうしました?」
「お忙しいところすいません、至急確認したいことがありまして」
 警部はさっそく本題に入る。
「永島さん、このボールペンはあの日の講演会で配られたものですよね?」
 警部は右手に先ほどのボールペンを示す。永島は警部の勢いに圧倒されながらも、じっくり確認してから答えた。
「はい、間違いありません。受付で出席されたドクターにお渡ししたボールペンです」
「このボールペンに書いてあるのは、お薬の名前ですね?」
「はい、我が社が新発売した睡眠薬です」
 私は黙って2人のやりとりを聞いていた。・・・警部は何を確認しようとしているんだろう。
「永島さん、この薬は講演会第2部の内容でも出て来ましたか?」
「え〜とですね・・・はい、確かに出てきました。2つ目の講演の中で、不眠症の新しい治療薬として紹介されました」
「フフフ・・・そうですか」
 警部は満足そうに笑う。私にはわけがわからない。
「ついでにこのお薬の名前の由来を教えて頂いてもよろしいですか?」
「由来ですか。はい、確か・・・」
 警部は嬉しそうに永島の説明を聞いている。薬の名前の由来・・・それが事件の真相と何か関係あるのだろうか。それともただの警部の個人的興味か?

「・・・ありがとうございました。大変参考になりました」
 説明を聞き終えると、警部はボールペンをコートのポケットにしまってそう言った。
「刑事さん、それよりどうなんですか?佐藤のことは・・・」
 と、不安そうな永島。そこで警部は私の方を見ながら答える。
「大丈夫です、みなさんのご協力のおかげで真相は解明されてきています。それで、あなたにもう1つ確認してほしい物がありまして」
 警部は私に右手を伸ばす。私はここに来るまでの車中で言われていた物を取り出した。それは・・・あのホテルの監視カメラをプリントアウトした写真。写っているのは、結局身元がわからなかったあの男性・・・そう、事件の直前にエレベーターで12階に出入りしていたあの人物だ。
 警部は写真を受け取るとそれを永島に見せる。
「もしかしたら・・・あなたならご存知かもしれないと思いまして・・・。永島さん、この写真の男性に心当たりはありませんか?」
 どういうことだろう?あの写真はホテルのスタッフにもあの日12階に宿泊していた客にも見てもらったが誰も男性のことを知らなかった。それなのに・・・それをどうして永島が知っているというのか?
 永島は写真をまたじっくり見つめ、はっきりと答えた。
「はい、知っています」
「やっぱり!ではこの男性は誰ですか?」
 と、さらに嬉しそうな警部。私はさらにわけがわからない。
「はい、この方は・・・ドクターです。羅空亜大学病院の外科の・・・上田先生です。何度かご面談させて頂いたことがあるので・・・間違いないと思います」
・・・外科医?私には全く持って意外だったが、警部は予想していたかのように納得している。
「本当にありがとうございます永島さん・・・これで全て繋がりそうです」
 警部はそう言って微笑むと写真をコートにしまい、私の方に向き直った。
「ムーン、いよいよ大詰めだ。行くぞ、上田先生のところへ!」

 羅空亜大学病院へ向かう車中、天高い秋の空はもう夕暮れに染まり始めている。しばらくは無言でハンドルを握っていた私だったが、どうしても気になって助手席の警部に尋ねた。
「警部、いったい何がどうなっているんですか?私にはもう何が何だか・・・」
 警部はまたおしゃぶり昆布をくわえ、それを口元で動かしている。そしてゆっくりと右手の人差し指を立てて言った。
「いいかいムーン?私の推理が正しければ、上田先生がきっと重要な証言をしてくれるはずだ」
「私にはその上田先生がどうしてあの日ホテルにいたのか、事件とどう関わっているのか・・・全く見当がつきません」
「フフフ・・・」
 と、警部は笑う。きっとこの人には前部わかっているのだろう。
「もしかして警部には、監視カメラの弾性が医者だとわかっていたんですか?だから、永島さんに確認されたとか」
「まあね」
 警部は少し得意気に答えて昆布を飲み込む。
「どうしてわかったんですか?」
 私はつい声を大きくしてしまう。しかし警部はその質問には答えず、コートのポケットから新しいおしゃぶり昆布を取り出した。そして、それを私に示しながら言う。
「もう1つわかってることがあるよ。私の推理が正しければ、おそらく上田先生は・・・」
 そこで警部は昆布を口にくわえてから言い切った。
「ヘビースモーカーだ」
 ・・・この人の頭の中はどうなってるんだろう?一体何がどこでどうなってそういう結論に達するんだ?それに、それって事件に関係あるの?
 私が黙ってしまったからか、警部は少し優しい口調で続けた。
「ムーン、あとは情報をどう組み合わせるかだよ。考えてごらん。
ポイントはあの睡眠薬の名前、MRのマナー、精神科医の癖、そして唄美先生が口にした『犯人しか知り獲ない事実』・・・。ここから1本のストーリーを導き出すんだ、あの日ホテルで何が起こっていたのか。
そうすれば真相に辿り着けるよ、わかるかい?フフフ・・・」

・・・わかるわけないじゃん!悔しいなあ、またこのパターンか。仕方がない、上田医師から話を聞いたらもう一度ゆっくり考えてみよう。
 私は少しアクセルを踏み込んだ。

■飯森唄美の視点 その5

 木曜日。昨日カイカンは一度も姿を見せなかった。当直先の病院まで押しかけてくるのではないかと心配していたがそれもなく、久し振りに穏やかな1日だったように思う。本日においても昼休憩にカイカンが現れることもなく・・・この静けさが逆に不気味に感じる。
・・・願わくば、このまま穏やかな日々が続いてくれたらと思う。

午後5時45分。私はクリニックで本日最後の患者の診療に当たっていた。患者の名前は有田・・・一昨日初診した女性だ。彼女は本日も夫の浮気を嘆いている。
「先生・・・あれから夜も眠れなくて、本当に辛いんです」
 彼女は力なく言う。
「・・・お辛いですね、有田さん。あまりご自分を責めないで下さい」
「先生、何かぐっすり眠れるお薬はありませんか?」
「そうですね・・・」
 私は少し考えてから答える。
「確かに睡眠薬は色々あります。しかしあなたはまだお若いですし、睡眠薬には副作用だってあります。出来るなら・・・使わずに乗り越えられたらそれが一番だと思います」
 これは本心だ。精神科医が安易に薬を処方することは・・・患者にとってはもちろん、社会にも激しく有害だと思うから。
「先生、ありがとうございます。でも、眠れないのも辛くて・・・」
「そうですね・・・」
 そこで数十秒の沈黙。やがて彼女が言う。
「わかりました・・・。睡眠薬を使うかどうか自分なりにもう一度考えて見ます。先生、睡眠薬ってどんな物があるのか教えて頂けませんか?自分で調べてみますから」
「構いませんが・・・必要なら私が説明しますよ」
「はい。でも、自分でも調べてみたいので・・・よく使われる薬の名前をメモして頂けませんか?」
「・・・わかりました」
 私はそう言って微笑む。それで患者が納得出来るのであれば反対する理由はない。机のメモ用紙を取り、私は有名な睡眠薬の名前を羅列していく。
・・・そういえば、月曜日にはまだ処方出来なかった睡眠薬があったな。そう、『バイオスリープ』。・・・そろそろ発売されたのだろうか?調べておかないといけないな。
私は「もしかしたらまだ発売されていないかもしれませんが」と彼女に断りながらその名前も記入する。
「ではこちらが、最初に使うには安全だと思われる薬のリストです」
 私はそう言って彼女にメモを手渡す。彼女は丁寧にそれを受け取ると、簡単に目を通してから折りたたんだ。
「先生、ありがとうございます。自分なりに調べてみますね」
「わかりました。でも、インターネットとかの情報はあんまり鵜呑みにしないで下さいね、デタラメも多いですから」
「はい」
 彼女は力ない笑顔を見せ軽く礼をすると、ゆっくり診察室を出て行った。壁の時計を見ると時刻はちょうど午後6時、今日の仕事は終わった。
 私がカルテを記載していると、そこに田原が入ってくる。
「先生、今日はこれで終わりです。お疲れ様でした」
 私は「お疲れ様です」と返しながら書き終えたカルテを渡す。
「あの、先生・・・」
 そこで田原は少し不安そうな顔で言った。
「また・・・あの刑事さんがいらっしゃってるんですが・・・」
 ・・・来たか。大丈夫、冷静に対処すればいい。
「わかりました、じゃあ入ってもらって下さい。田原さんと百木さんは上がっていいですよ」
「はい、お疲れ様です」
 田原は診察室を出て行く。しかし、入れ違いに入ってくるかと思っていたカイカンは姿を見せない。
 ・・・この静けさはやはり不気味だ。
 私は一度立ち上がり白衣の襟を正すとゆっくり椅子に座り直す。
 ・・・大丈夫、恐れることはない。


 やがて弱いノックの後、ドアが静かに開いた。そこにはカイカンが立っている。
「・・・よろしいですか?」
 今日のカイカンに笑顔はない。私も無理に微笑むことはせず小さく「ええ、どうぞ」とだけ答えた。
「失礼します」
 と、カイカンは中に入り、後ろ手にドアを閉める。そして私の正面の椅子に腰掛けた。やはり・・・今日のカイカンっは笑顔がない。
「刑事さん、今日はどのようなご用件ですか?」
 私は少しだけ明るい声でそう問いかける。それに対してカイカンは低く揺るぎない声で答えた。
「今日はあなたを逮捕しに来ました・・・唄美先生」

 カイカンはそう言った後、黙って私を見つめていた。私は脈が速くなるのを感じる。
「冗談じゃ・・・ないですよね?」
「はい・・・残念ながら」
 カイカンははっきりと答えた。私はあくまで冷静に対応する。
「どういうことでしょうか?」
「先週の土曜日、メロディアス製薬の佐藤さんを殺害したのは先生だということです」
 ・・・ドクン!
 心臓が大きく脈打つ。今までも疑いの刃をちらつかせていたカイカンが、ついに鞘を抜いた瞬間だった。膨らむ不安。緊張が全身に染み渡っていく。
落ち着け、この勢いに負けてはいけない・・・戦うんだ!
 私が黙っていると、カイカンがまた口を開く。
「・・・お認めになりますか?」
「申し訳ありませんが・・・否認致します」
 私はゆっくりそう答える。落ち着け、一言一言に集中するんだ!
「刑事さん、私だって見えない物を解釈するのが仕事ですが・・・診断を確定するには細心の注意を払っています。全ての症状に矛盾がない診断を・・・」
「私も、全ての証拠に矛盾がないように確定診断したつもりです」
「説明して頂けますか?」
 私は少し厳しい口調でそう言った。そこでカイカンは右手の人差し指を立て、ゆっくりと話し始めた。
「先生・・・あなたのとった行動はこうです。
まず先週の土曜日午後6時、あなたはムナカタグランドホテルの2階で行われたメロディアス製薬の講演会に出席した。受付で名前を書き、会場に入る。1つ目の講演を聴いた後、7時のトイレ休憩を利用して会場を出る。そして佐藤さんの宿泊していた1215号室に向ったんです。
先生は監視カメラに写らないように非常階段を使いました。12階まで駆け上がるのは骨が折れますが・・・もと陸上部のあなたなら可能でしょう」
震える膝を手で押さえながら、私は黙って聞く。カイカンは流れるように続けた。
「1215号室に着いたら、先日ご説明したスタンガンを用いた方法で佐藤さんを気絶させ、浴槽で溺死に見せかけて殺害した。
その後は再び非常階段を用いて2階まで駆け降り、8時のトイレ休憩を利用して会場に戻った。そして3つ目の講演を聴いた。
・・・以上があなたの犯行です」
私の脈がさらに速くなる。落ち着け、確かに全てはカイカンの言う通りだが・・・あくまで推論だ。
「刑事さん、私はちゃんと2つ目の講演も聴いていましたよ。会場を抜け出してなんかいません。なんなら講演の内容をご説明しましょうか?」
「たとえ会場にいなくても講演を聴くことは可能です。ボイスレコーダーを席に残しておけばいいんですから・・・犯行が終わった後でゆっくり録音を聴けばいい」
 カイカンは引き下がらない。だが私も立ち向かう。
「刑事さん・・・それは想像です。確かに私はあの日講演会に出席していましたが、それだけのことです。会場を抜け出したり、ボイスレコーダーを使ったり・・・そんなことはしていません。
 根拠がなければ・・・診断とは言えませんよ!」
 ついつい語調が強くなる。落ち着け、感情に捕われてはいけない。
 カイカンはそこで静かに言った。
「根拠はありますよ。先生、あなたが2つ目の講演の時にその場にいなかったことはちゃんと証明出来るんです」
 その瞬間、カイカンの長い前髪に隠れた片眼が光ったような気がした。

TO BE CONTINUED.

(文:福場将太 写真:瀬山夏彦)

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