コラム

2011年07月『恋愛の名にかけて』

 七夕である。織姫と彦星が1年に1回だけ会うことを許される夜だ。彼らがいったいどういう事情でそんな過酷な遠距離恋愛をしているのか詳しくは知らないが、電話もメールもない状況で1年に1回しか会えない相手を想い続けるなんて事、現実にあるのだろうか。
 この仕事をしていると時々考える。文明は進歩する、肉体は進化する・・・じゃあ心はどうだろうか、と。価値観や小道具は異なるにしても、誰かを想うという心は今も昔も同じだろうか。愛しさや恋しさ、寂しさや悔しさは同じだろうか。千年前の恋愛と現代の恋愛は本質的に同じだろうか。

 年齢を重ねるほどに感じること・・・この世界はそんなに美しくないということ。浮気や不倫、二股や三角関係・・・そんなものは当たり前のように私達の身近に存在する。一生ただ1人の人を愛し続ける、誰でもいつかは運命の人に巡り合うなんてのは実はめったにないことなのだと気づかされる。一生ものの友情を一瞬の恋愛が破壊したり、長年の交際の果てに別かれて数ヵ月後に別の相手と愛を誓い合ったり・・・そんなのを見てると何だか恋愛がバカらしく、そして恨めしく思える時さえある。
イメージ 運命によって自動的に最愛の相手と結ばれるなんてことはさすがにないと思う。ふりむいてもらうために自分を磨く努力をするのは当然だと思う。しかし・・・相手の気を引くために口裏を合わせて芝居をしたり、メールの文面を計算したり、効果的なセリフを研究したり、駆け引きをしたり隠し事をしたり・・・なんかそういうのがあまりにいきすぎてしまうといったい何をしてるんだろうと思ってしまう。恋愛というのは相手を好きだという気持ちが大前提のはずなのに、なんかが違ってきてしまっているのではないだろうか。本物の愛情なんてもしかしたら歌やドラマの中にしかないんじゃないだろうかとさえ思ってしまう。恋愛だなんてかっこつけずに本能だ、性欲だと言い切っちゃったほうが話が早いのかもしれない。
 出会い系サイト、合コン、婚活パーティ、恋人募集中、着信拒否にアドレス消去・・・そんなのを織姫と彦星が見たらいったいどう思うんだろう。あんたらいったい何をやってんのとあきれられてしまうかもしれない。

 それでも、夜空の星に素敵な物語をたくしたのは人間だ。たくさんの人を感動させる歌やドラマを作り出すのは人間だ。キレイごとだけじゃないけれど、理屈に合わない想いは、損得抜きの感情は確かに存在する。
 ただの勘違いかもしれない。幻想かもしれない。
 それでも人間の誇りにかけて。恋愛の名にかけて、誰かに想いをはせようではないか。

(文:福場将太 写真:瀬山夏彦)

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