コラム

2009年2月スペシャルコラム『薬剤師探偵と消えたカステラ(推理編)』

※このコラムは愛する職場をモチーフにしたユーモアミステリーであり、フィクションです。

 その日の昼休み、カステラ消失事件について薬局メンバーであれこれ話し合ってみた。といっても主として話をしているのは僕と峰岸くんで、ティヴェンヌは時々口を挟む程度、仕事熱心な邑上さんは休みもとらず黙々とあの赤い椅子に座って調剤を続けていた。良夫は本当のことがわかるまで、とりあえず自宅待機中だ。
「山田野さん、もし高岡さんが犯人じゃないとすると、どうなるんスかね?」
 峰岸くんがごつい手でつかんだハンバーガーをかじりながらそう言った。
「う〜んそうだなぁ。福橋先生が鍵をかけたのは確かみたいだし……」
「となるとやっぱり合鍵を持った別の犯人がいるんスかね?」
「でも、こっそり合鍵作るのってそんなに簡単じゃないだろ。バレたら大問題だしな」
「じゃあ怪しいのはもともと合鍵を持ってる人物っスかね? 合鍵を管理してるのは事務所だから、事務員さんの誰かが……。そう、そうっスよ! 事務員さんなら福橋先生の部屋にカステラが運ばれたことを知ってるんじゃないっスか?」
「確かにそうだけど、でもなあ、本来なら福橋先生はすぐカステラを食べたはずだよ? でも携帯電話で呼び出されたから鍵をかけて部屋を出た。これはあくまで偶然だ。それを予測して合鍵持参でカステラを食べに来るってのは……考えにくくない?」
「そうっスねえ……」
「それにその時間当然事務所は勤務中で、水田さんがカステラを届けに出た以外は誰も席を外していないらしいんだ」
「じゃあそのカステラはドライアイスとかで作られたもので、時間が経てば自動的に消えちゃうってのはどうっスかね?」
 峰岸くんは2個目のハンバーガーをほおばりながらそう言った。
「そんな安物の推理小説じゃあるまいし……。それに自動的に消えるカステラだったとしたら、部屋の鍵が開いていた説明がつかない。確かに誰かが鍵を開けたんだよ。当然だけど部屋のドアは外側からは鍵なしでは施錠も開錠もできないんだから!」
「山田野さん、そんなに熱くなんなくても、どうでもいいじゃん」
 と、ティヴェンヌがお気に入りのアール・グレイに口をつけながら言う。
「いや、確かにしょうもない事件だけど、一応良夫の人生がかかってるからな」
「案外高岡さんが犯人かもしれないっスよ。その時間そこにカステラがあって、しかも福橋先生が部屋にいないのを知っていたのは高岡さんだけなんスから。ついつい魔が差して食べちゃって、その後のん気にロビーでコーヒー飲んでたのかも」
「いやそれはないよ。だってプロパーの彼が無断でドクターのカステラを食べたら少なからず問題になるだろ? バレたらそれこそ出入り禁止だ。良夫がそんなことするわけない」
「……問題はそこじゃ」
 突然甘い声が薬局に響いた。そう、この気高い口調こそ彼女、邑上さんの言葉だ。きたきたきた〜!
「む、邑上さん?」
「犯人の動機はなんじゃろう」
 彼女は調剤を続けながら独り言のようにそう言った。
「カステラ食べたかったんじゃないの?」
 と、ティヴェンヌが答える。
「でも確かに、食欲だけが動機ってのも変っスよね。さっき山田野さんがおっしゃったようにリスクが高すぎる……。人生賭けてカステラを食べることはない、コストパフォーマンス悪すぎっスよ」
 峰岸くんがそう言った後、僕はすかさず口を開く。
「邑上さんはどう思う?」
 ……ガン無視。
 僕の言葉は宙に浮く。あれ? いい感じで会話が転がりだしたと思ったんだけどなぁ……。
「そもそも勤務時間中なんスから、そんな院内を自由に動ける職員は少ないっスよね。案外他の2社のプロパーさんが怪しいのかも。あれですよ、ほら、プロパーさんならわりと先生の部屋の周辺をうろついてても怪しまれないじゃないっスか」
 ……まあ、可能性はなくもないか。僕は今日福橋医師に会った他の2人を思い出す。
「え〜と、最初に面会したのはフィリップ薬品の一渡瞳(ひとわたり・ひとみ)さんっていう女性プロパー。2番目がナイッシュ・バンバンって会社の羽土宏道(ばど・ひろみち)さんっていう男性プロパー。どっちも良夫のスワンダンス製薬とはまあライバルみたいなものかな。確かにこの2人なら院内をうろついてても怪しまれないけど……でもカステラの存在をこの2人は知りようがない」
「あ〜もうわけわかんね」
 突然ティヴェンヌはそう言って薬局を出て行く。
 その後、薬局にはしばしの沈黙が訪れた。ティヴェンヌの残したティーカップからは穏やかに湯気が立ち昇り、邑上さんの正確な調剤の音だけが、僕の鼓膜を刺激する……。
 う〜ん、それにしても意外に答が出ないぞ。このままじゃ良夫が……。

 ……ガチャン!
 激しくドアが開いてティヴェンヌが戻ってきた。カップの湯気が乱れる。
「今そこで福橋先生に会って話聞いたんだけどさ、なんか呼び出されて部屋に戻ってきた時、カステラがなくなってた以外にもおかしなことがあったんだって」
「え、何が?」
「部屋が寒かったんだって。ほら、あの人寒がりじゃん。だからすぐ気がついたらしいんだけど、なんか部屋の窓が開いてたんだって。ほら、あの先生のデスクの後ろの大きな窓」
「そうか、それっスよ!」
 峰岸くんが3個目のハンバーガーを飲み込んで立ち上がった。
「犯人は窓から侵入した。だから合鍵なんて関係なかったんスよ」
「いや、そりゃ無理だわ」
 と、ティヴェンヌはあっさり全否定。
「だってあの部屋の窓は網戸がはめ殺しだもん。窓を開けても出入りは無理」
「じゃあ犯人は何のために窓を開けたんスか? この寒い季節に」
「さあ、知らね」
 ここで僕はちょっとした思い付きを口にする。
「ちなみに福橋先生は誰から呼び出されたのかな?」
「ああ、それも言ってた。院長先生からだったんだけど、院長室でスケジュール確認だったみたい。でも、これも変なのよね。いつもならデスクの内線にかかってくるのに、どうしてあの時だけ携帯電話だったんだろうって。院長先生は最初内線にかけたらしいけど繋がらないから携帯電話にかけたらしいけど……。電話が壊れてたのかな?」
「え、でも自分さっき普通に仕事で福橋先生の部屋に内線かけたっスけど……ちゃんと出ましたよ」
 峰岸くんはそう言いながら4個目のハンバーガーをかじる。
 う〜んいったい何がどうなってるんだ?
 密室から消えたカステラ、何故か開いていた窓、何故か繋がらなかった内線……?
 ああ、あの部屋でいったい何が起こったっていうんだ?
 頭がいっぱいで僕は混乱に陥る。ああ、もう、どうなってるんだ〜!!

イメージ「……完成じゃ」
 その時、再びその気高い言葉が聞こえた。僕は冷静さを取り戻す。
「邑上さん?」
 彼女は調剤を終えた薬を静かに置き、その日初めて僕の方を向いてこう言った。
「……謎と手がかりを調合して……真実を処方する」

(次回、「解決編」にて完結)

前のコラム | 一覧に戻る | 次のコラム