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コラム
2009年1月スペシャルコラム『薬剤師探偵と消えたカステラ(事件編)』
※このコラムは愛する職場をモチーフにしたユーモアミステリーであり、フィクションです。
僕の名前は山田野ヒロシ(やまたの・ひろし)。北海道山中のとある病院で薬剤師をやっている好青年だ。ドラマやコミックで『医療モノ』は数多くあるが、僕たち薬剤師が活躍する作品は見たことがない。医療チームの一員として、お医者さんや看護師さんとも密接に繋がっているんだけどなぁ、う〜ん……。でも、薬剤師は薬局にこもって調剤だけをやってる地味な人種ではけしてないぞ! 少なくともこの病院で僕たちは実際に患者さんと会い、話し、触れあって仕事をしている。
僕の職場は病院の一角にある『院内薬局』。そこには僕以外にも2人のスタッフがいて、1人は薬剤師の峰岸熊五郎(みねぎし・くまごろう)くん、そして薬局事務のティヴェンヌ。この3人で忙しい毎日の大半を過ごしているのだが……、そんな中僕はふと少しせつない気持ちになることがある。それは、たくさんの薬品や分封機に囲まれたこの小さな部屋の片隅に置かれた……あの赤い椅子が目に入った瞬間だ。
そう、そこには峰岸くんの前任者の女性薬剤師がよく腰掛けていた。
邑上式部美(むらかみ・しぶみ)……そう、それがあの尊い女性の名前。
彼女がここを去ってもうどれくらいになるだろうか……。彼女と過ごした1年間は、僕の人生の中でこれから先どんなに願ってもけして手に入れられないものだろう。彼女だけが作り出せるあのどこか柔和でどこか冷涼な空気を思い出すたびに、僕の胸は少しだけ鈍い痛みをおぼえる。脳裏に浮かぶ彼女にまつわるいくつものエピソード、……その中でも一番焼き付いているのは、やはりあの事件だろうか。去年の初冬、彼女がここを去る直前の出来事……。
*
彼女がこの病院を去るリミットまであと48時間をきった日、薬局を訪ねてきたのは1人のプロパーさんだった、プロパーさんとはまあ平たく言えば製薬会社の外回りの社員さんで、当然病院での対応の窓口はこの薬局になる。たいていの場合、新しいお薬の紹介とか勉強会の案内とかなのだが、その時はそのどちらでもなかった。
「助けてよ、ヒロシ!」
彼は突然長髪を振り乱しながら入ってきた。彼の名前は高岡良夫(たかおか・よしお)、スワンダンス製薬のプロパーさんであり、偶然にも僕の幼馴染でもある。
「何、どうしたの?」
そう彼に反応したのは僕だけで、邑上さんは見向きもせず調剤を続け、ティヴェンヌは黙々とパソコンを打ち、着任したばかりの峰岸くんはわけがわからずきょとんとしている。
「まずいよ、俺、このままじゃ出入り禁止になっちゃう。助けてよヒロシ」
「まあ落ち着けよ、いったい何があったんだ」
「濡れ衣なんだよ!俺が福橋先生のカステラを食べたっていうんだよ!」
「カステラ?」
「そうなんだよ、ヒロシ!」
……良夫が説明した事件の経過は以下のようなものだ。
今日は午前10時より福橋医師へのプロパー面会が3社10分ずつ予定されていた。10時からはフィリップ薬品、10時10分からはナイッシュ・バンバン、そして10時20分からは良夫のスワンダンス製薬。予定通り午前10時から応接室にて開始され、1社ずつ部屋に入り福橋医師との面会が行われていたのだが……。
午前10時20分、良夫の順番になったところで、応接室のストーブの調子が悪くなり、寒がりの福橋医師は面会の場を応接室から自分の部屋に変更した。そこで福橋医師と良夫は部屋に向かう。2人が部屋に入ろうとしたところでちょうど中から出てきたのは事務員の男性・水田聡雄(みずた・さとお)。何でも彼の母親が趣味でカステラを焼いたので、福橋医師におすそ分けをしに来たのだそうだ。
福橋医師の部屋は8畳ほどの個室であり、ドアを入ってすぐのところに接客用のソファとテーブル、奥には窓に背を向ける形で仕事用の大きなデスクが置かれている。問題のカステラは、2人が部屋に入ったとき、確かに接客用のテーブルに置かれていたという。
水田さんはすぐにその場を去り、その後良夫の面会は予定通り10分ほどで終了した。そして良夫が部屋を出ようとしたところで福橋医師の携帯電話が鳴り、福場医師は部屋を出ることになった。そこでカステラへの執着から福橋医師は念のためドアを施錠して用事に向かった。
良夫はその後病院ロビーで缶コーヒーを飲みながら、今日の面会の成果と反省点を整理していた。そして、午前11時頃さあ帰ろうと病院を出ようとしたところで、警備員に呼び止められたのだという。
その容疑は、『福橋医師のカステラを食べたこと』。何でも、午前10時50分、福橋医師が用事を済ませ部屋に戻ると、テーブルの上のカステラが綺麗サッパリなくなっていたのだという。
……以上が事件(?)の経緯だ。
「でもそれで、なんで良夫が疑われるわけ?」
一通り話を聞いた後、僕は動揺しまくっている彼にそう尋ねた。
「それがな、まずカステラがあの時間福橋先生の部屋にあるのを知っているのは俺だけだからって言うんだよ! それに福橋先生が用事で部屋を出ていることを知っているのも俺だけだからって言うんだよ! いや、確かにその通りかもしれないけどさあ……」
「でも、福橋先生は確かに部屋のドアの鍵をかけて出掛けたんだろ?」
「ああ、俺もこの目で確認したよ。でも、戻ってきた時には開いてたらしいんだ。それでおかしいなと思って部屋に入るとカステラが消えてたんだよ! ヒロシィ……」
良夫は半分泣きそうになりながら声を裏返して話す。
「じゃあ犯人は合鍵を持ってる人物だろ? お前は持ってないじゃないか」
「そうなんだよ。でもこっそり合鍵を作ってたんじゃないかって言うんだ。産業スパイの中には、内部の情報を得るためにそういうことをするやつもいるからって……。俺はスパイじゃないし、プロパーの誇りにかけてそんなことするもんか!」
「まあ落ち着けよ、良夫」
僕は興奮する良夫を手近な椅子に座らせた。薬局の中は僕と良夫を残してやはり静まり返っている。
でも、念のため僕はきいてみた。
「ねえ邑上さん、どう思う?」
……ガン無視。
いや、いいんだ。これはいつものこと。それに僕は信じている。彼女はちゃんと話を聞いてくれていると。そして、この密室から忽然と消えたカステラの謎を解き明かし、良夫を救ってくれるに違いないと。
(次回、「推理編」につづく)