コラム

2008年12月『あなたが愛した精神医学』

 一口にドクターといっても、その仕事は様々である。実際に現場で患者さんを診る人もいれば、監察医として死者の声に耳を傾ける人、保健所で地域全体の健康を考える人、学者として研究に生涯を捧げる人、厚生労働省で日本の医療制度を作っていく人、あるいは執筆や講演活動に力を注ぐ人もいる。
 大学の医学部においては、解剖学、生理学、薬理学などの基礎医学から、各診療科の臨床医学、法医学や公衆衛生に至るまで一応一通りの勉強をする。そして、臨床医学の中でも内科・外科・小児科・産婦人科など国家試験的にも比重の多い診療科を『メジャー系』、それ以外を『マイナー系』なんて学生は呼んだりしている。さ〜て我らが精神科はというと、残念ながら『マイナー系』なのだが、数多くある診療科の中でもとりわけ特殊性が高い科であるように思う。今回はそんな話をしてみようか。

 初めてこの世界に入った頃、先輩医師に「精神科は、わからないことが醍醐味だ」と言われたのを憶えている。何でもかんでも白黒はっきりつけることは出来ない、それが精神医学なのだと。おそらくこれから先、何百年経っても人間が人間の心を解明することはないだろう。それをわかっていながら、心を相手にしていくのが精神科医なのである。もちろん、学べば学ぶほど『何か』をつかんでいく手応えはあるが、人の心に触れる時はいつだって手探りである。
 当然ながら精神医学にも診断基準や治療理論は存在する。しかし、例えば血圧なら上が140以上あるいは下が90以上なら高血圧とはっきり定義できるが、精神科における診断や治療の手掛かりは数値にできないものばかりだ。非常に印象や心象めいていて、医師の主観、経験に基づく感覚によるところも大きい。有名人が心に病を抱えたとき、マスコミで様々な専門家が色々な診断名を言うことがあるが、ある意味ではどれも正解であり、どれも間違いなのである。
 おいおい、そんな曖昧なことでいいのかと思われるかもしれないが、現場の精神科医にとって一番大切なことは目の前の患者さんが楽しく日々を暮らせるようになることである。診断名をおろそかにするつもりはないが、それにとらわれすぎてもいけない。楽譜が音楽ではないのと同じように、診断名が患者さんのすべてを表現しているわけではけしてない。精神科医は病気だけを相手にすることはできず、その病気を持った患者さん丸ごとを相手にしているのだから。その意味で、ただ病状だけがなくなれば治療成功ということではないし、患者さんに優しくすれば相手のためになるとも限らない。マニュアルはあっても、目指すべきゴールや治療の正解は患者さん1人1人によって異なる。
 昔とある精神科医に、「精神科は患者を治している実感が得られにくい科だ」と言われたことがある。確かに目の前で出血を止めて命を救うわけではないし、心の回復もまた血圧や腫瘍マーカーのように数値にすることはできない。でも、ずっと暗い顔だった患者さんが微笑んでくれた瞬間……そんなことに喜びを感じるドクターがこの世界にいたっていいでしょう?

 ちなみに精神医学は学問としてもまだまだ未熟だ。学派によって診断法や治療法が異なることも少なくない。でも、心を解釈しようとしているのだから意見が分かれて当然である。正解がないってのは弱点でもあるけれど、逆に言えばそこには無限の可能性があるってことだ。ある意味では何であり、それこそが精神科医療の魅力だと思う。
 例えば音楽が好きなドクターが患者さんと歌ったり、元調理師の福祉士が患者さんに料理を教えたり、運動好きな事務員が患者さんと一緒に体操したり……そんな光景を見るとたまらなくあったかい気持ちになる。スタッフの個性や得意技が治療に活かされていく……こんな科は他にはない。スタッフってのは医師・看護師・薬剤師・福祉士・療法士だけではないぞ。肩書きや職種を請え、助手さんも事務員さんも運転手さんも栄養士さんも調理員さんも清掃員さんも……患者さんに接する全ての職員が精神科医療の一員だ。日常の中の何気ない挨拶、世間話、優しさ……それだって精神科においては治療に繋がっていくのだから。

イメージ ここで働いている皆さん、数多くある診療科の中であえて今自分が精神科医療に関わっていることに誇りと自覚を持ちましょう。あなたの言葉ひとつ、笑顔ひとつが患者さんのプラスになるかもしれないし、あなたの悪意ひとつ、怠慢ひとつが患者さんを傷つけるかもしれないのです。

 わからないことだらけの中で、あたたかくもおこがましいこの仕事が、来年ももっともっと愛しくなりますように!
 でわでわ皆さん、よいお年を!

※次回から3ヶ月連続で新春スペシャルコラム掲載予定!

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