コラム

2008年5月『遅咲き桜』

 心の病気の治療には、どうしても時間がかかる。時間をかけることが治療、といってもいい。例えばクリニックへの通院にしても、1度2度の受診で問題が解決することもあるが、やはりよくなるまでに月単位・年単位の時間を要することも少なくない。また、病気によっては一生付き合っていかなければならないものもある。
 そして、多くの心の病気ではまず『休むこと』が治療の基本となる。何もしないで心も体もゆっくり休めること……それが大切なのである。無理な頑張りや焦りはむしろ病気を長引かせてしまったりする。

 しかしながら、人間にとって『何もしないで休む』、ということはけして楽なことではない。世の中には「あいつはサボってるだけだ、怠け者だ」などと病気のことを理解せず心無い発言をする人もいるし、仕事を休んで治療に専念していると、自分が社会から取り残されているような気持ちになってしまう。
 治療のために仕事を休んでいる患者さんの多くは、「働きたい。人の役に立ちたい」と言う。その気持ちは非常に尊いものだ。私たち人間は、自分の存在価値というものを求める。生きている意味を求める。この世に生を受けてきたからには、誰かの、何かの役に立ちたい……健康な人でも病める人でもそれは同じだ。
 患者さんたちの「役に立ちたい」という想いにふれると、働けるというのはただそれだけで幸せなことなんだなぁと気づかされる。どんな仕事だって不平もあれば不満もあるだろう。投げ出したい時もあれば辞めてしまいたい時もあるだろう。でも、世の中には働きたくても働けない人もいるのだから。

 でも、働けないのと働かないのは違う。病気になってしまったのは誰のせいでもないし、その病気を克服するために働けないでいるのだから、それは堂々としていていい。もちろんそれでも「役に立ちたい」という想いは消えない……人間だもんね。
 では『役に立つ』ってどういうことだろう。仕事をすることだけが役に立つってことじゃないんじゃないかな。患者さんが自分の病気を克服しようとする姿から、私たち医療者は力をもらったり、大切なことを教わったりする。医療者だけではない、「前に同じ病気の患者さんがいて、その人は治療を続けて今こうしている」……そんな話がまた別の患者さんを励まし、そこからまた別の患者さんに勇気が伝わっていくかもしれない。巡り巡って、それは多くの人の役に立っているかもしれない。

イメージ 私たち人間は、みんなみんな見えない糸で繋がっている。
 ひょっとしたら前を向いて生きているだけで、とっくにこの世界の誰かの役に立っているのかも。

 ちょっとずつでいい、ゆっくりでいいから前を向いて歩いていこう。
 お金や数字にならなくても、言葉や形にならなくても、そうすればきっときっと「役に立ちたい」という気持ちがいつか花開いて、どこかの誰かさんの役に立てる。

 焦らなくていい。
 北海道では、5月になって綺麗な桜が咲くのです。

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