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コラム2023年11月「愛していると云ってくれ」
今月初頭に講演の仕事で京都へ出向いた。せっかくいくのだからとちょっぴり日本史をおさらいしたり名所を調べたりもしてみたのだが、京都に関する記事を読んでいると「京都人の言葉はそのまま受け取ってはいけない」というのをたくさん目にした。
例えば来訪中の家の人から「お茶などもう一杯いかがどす?」と言われたら、それは「もう少し居てください」ではなく「そろそろ帰ってください」という意味らしい。「お宅のお子さんのピアノ、お上手どすなあ」と言われたら、それも褒められているわけではなく「ピアノの音がうるさい、迷惑だ」の意味、会話中に「良い腕時計どすなあ」と言われた時も「どれだけ長い時間話すの、もうやめて」の意味らしい。恐るべき婉曲表現である。
京都に限らず、そもそも日本人にはストレートに物を言わない文化が根付いている。テレビドラマでも顔で笑って心で泣く場面が感動のハイライトだし、日常においても「言葉ではこう行ってるけど本当の気持ちは察してね」という場面が非常に多い。その奥ゆかしさが日本人の美徳でもあるのだが、言葉の裏を察するのが苦手な人にとってはかなり苦労が多い文化とも言える。実際にクリニックの外来では、察することがうまくできない、ストレートに受け取って人間関係を失敗した、という相談は少なくない。
どうして日本人は本心を語りたがらないのか。相手を信用していないからなのだろうか。確かに京都は大きな都で人の出入りも多い中、信長・秀吉・家康と短期間で支配者が代わったり、幕末には様々な政治思想の派閥が潜伏していたり、誰が誰の知り合いかわからない中では迂闊なことが言えず、絶えず相手を警戒せねばならなかったのかもしれない。
しかし今回実際に上洛してみて、そんな冷たさや疑心暗鬼を感じることはなかった。むしろ京都弁の持つ優しく朗らかなニュアンスには癒された。ストレートに言わないのは相手を疑っているからではなく気遣っているから、そして本心を見せないのは弱さをアピールしない気高さと清廉さを持っているから。もちろんお話が大好きで素直な言葉を語る京都人もたくさんおられた。
精神科医は患者の言葉から心の状態を汲み取る仕事、そして患者の心を元気にする言葉を処方すべき仕事。もしかしたら京都の精神科医は患者の言葉の襞に潜んだ気持ちを汲み取る能力、隠れた傷に優しい言葉の膏薬を塗る能力に優れているのかもしれない。ぜひ一度お手合わせ願いたいものだ。
(文:福場将太)