コラム

2022年08月「心の圧縮」

 道具でも建物でも軽量化がよしとされる。確かに重たい道具は持ち歩くのが大変だし、建物も重たくなると自らの重量で倒壊するリスクがあるからそれだけ頑丈な素材が必要になり経費もかさんでしまう。虫や鳥たちが華奢な羽根を羽ばたかせて空を飛べるのは軽量だからであり、飛行機などの重たい物は羽ばたき方式の羽根では強度がもたない、だから固定式の羽根になっているんだと以前に物理学者の友人から聞いたことがある。

 デジタルの世界でもファイルのデータ容量が大きい場合は圧縮という処理で軽量化を図る。写真などの画像ファイルでは、人間の目が細かい色の違いを認識できない点を利用して似たような色を一色汰にすることで容量を減らす。音楽ファイルも人間の可聴域外の音をカットすることで容量を減らす。

 では人間自身はどうだろう。体重の重たい人がダイエットで無駄な贅肉を落とすのも一種の圧縮かもしれない。そしてもう一つ、能力についても人間は圧縮されながら生きているのではないだろうか。
 人はそれぞれの能力を持って生まれてくる。それが教育によって社会で見分けがつかない違いは一色汰にされ、社会で必要ではない能力はカットされていく。そして社会人という管理しやすい軽量ファイルが出来上がるのだ。

 ちょっともったいない気がする。レコード愛好家の中には、CDではカットされている可聴域外の音も入っているからそこが好きだという人もいる。聴こえないはずなのにそれが好き。人間の魅力だってそうじゃないか。社会で目立たなくても、役立たなくても、素敵な能力・素敵な個性だってたくさんある。
 精神科医としては、治療で患者さんの悩みや苦しみは圧縮したいが、魅力まで軽量化したくはないものである。

(文:福場将太)

前のコラム | 一覧に戻る