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コラム
2019年10月「仕事だから」
仕事だからと人は言う。多少無理をしても仕事だから、後ろ指をさされても仕事だから、冠婚葬祭に出られなくても仕事だから、本心はそうではないけど仕事だから…。とにかく仕事だからと銘打てばやむを得ないことなんだと正当化されてしまう雰囲気が日本にはある。業務を投げ出そうとしている人を仕事だろと説得したり、ありがとうございましたと頭を下げる人に仕事ですからと謙遜したり…気付けば自分も仕事という言葉をよく用いている。
確かに仕事だからと自分を鼓舞することで葛藤や臆病を振り払える。こんなことをしてよいのかと迷った時、仕事という大義名分は随分肩の荷を軽くしてくれる。精神科の診察は相手の心や能力を評価する無礼な行為だが、これも仕事でなかったらおこがましくてとてもやっていられない。
また不必要に人が人を憎まないためにも仕事という言葉は役立っている。確かに悪いことをしたあの人だけどそれは仕事上でやったことであると考えればその人個人を恨む気持ちは少なからず弱まる。迷惑勧誘電話がかかってきた時などはかけている人も仕事なんだと怒りを抑えていたりする。
でも一方でなんでもかんでも仕事だからで片付けてはいけないと思う気持ちもある。仕事だからで全て許されるわけではない。生活のためだったとしても、業務命令だったとしても、やっぱりその仕事を選んで働いているのは本人だからだ。仕事だからという言葉を多用することは一歩間違えれば自分で自分を甘やかす無責任にも繋がってしまう。
立派なお仕事ですねなんて言う人もいるが、これも洋服だけ褒めて本人を見ていないような言い方であり、重要なのはその仕事をしているその人が立派かどうかである。
僕も自分の仕事に誇りを持ちたい。でも僕のことを何も知らない人に医師という仕事だけの先入観で評価されるとやっぱり複雑な気持ちになる。自分の名前より仕事や役職が前に出るようになってもう久しいが、仕事だからといつも仕事にかばってもらってばかりではやはりかっこ悪い。自分だから、福場だからとちゃんと口にしていきたい。
(文:福場将太 写真:カヤコレ)