コラム

2019年9月「ネオ・学生諸君!」

 難しい勉強の話になると決まって口にされるセリフがある。「こんなの日常生活では使わない」。ユーモアとしては面白いが、もしもそれを理由に本当に勉強をしなくなってしまったら人間はおしまいである。確かに周期表や解の公式、漢文の読み方や名誉革命の年号が実生活で直接関係する場面は少ない。しかしだからといって役立っていないわけではけしてない。役立たないと感じる人はそもそも学びの意味を学んでいないのが問題なのだ。

1.学ぶ理由

 どうして義務教育があるのか。どうして勉強しなくてはいけないのか。
 一つの理由は、まず子供たちが幅広く様々な知識を得るためだ。色々学んだ中でどこかに興味を持ち、例えば算数に興味を持った子供が将来数学者になったりするわけだから、きっかけとしてもやはり基礎教育は必須である。
 それに日常生活には関係ないと言ったって、例えば普段使用している家電やスマートフォンは科学や数学をしっかり勉強してくれた人たちがいるから存在しているわけで、その恩恵に肖っておきながら日常に役立たないなんて言ってはいけない。

 勉強する二つ目の理由は、子供たちが人生で出会う疑問や苦難を解決するための手掛かりを得るためだ。生きていれば必ずわからないこと、どうしようもないことに出会う。その時に生まれ持った頭脳だけで勝負できる人間はいない。いつか教科書で学んだこと、授業で先生から教わったことの中に必ず手掛かりがあるのである。

 そして三つ目の理由。おそらくこれが一番重要な理由だと思うが、何かを学ぶことは今自分が持っている知識や技術を確実にパワーアップさせてくれる。数学を学んだら数学の知識しか深まらないと思ったら大間違い、体育を頑張ったら体力しかつかないと思ったら大間違い。全ての学びは相互に作用するのだ。
 数学を学ぶことで文学の読解が深まる、歴史を学ぶことで音楽が上達する、武道を学ぶことで薬学が理解できる、哲学を学ぶことでダンスがうまくなる…そんな馬鹿なと思う方はとてももったいない勉強の仕方をしている。一見無関係な知識や技術が自分をどれだけ成長させてくれることか。全ては活かし方次第。学生時代に学ぶべきことは知識そのものではなく実は知識の活かし方なのである。


2.学びの恩恵

 仕事柄、時々学術講演会なんぞに足を運ぶが、面倒は感じても不毛だったと思うことはほとんどない。もちろん仕事に直結する内容なので日常診療に役立つのは当然として、それ以外でもおおいに役立つ。
 例えば難しい化学式の話で退屈しそうな講演でも、そこから実生活で直面している問題解決の手掛かりを得られることは多い。グルクロン酸抱合の話で親子関係の修復法が浮かんだり、脳の伝達物質の話で組織改革のアイデアがひらめいたりするのだ。

 ある大先輩がおっしゃっていた…「医学は理系、医療は文系」と。まさにそうだ。医学部は理系の学部に分類されているが、本当に理系の知識しかなかったら医療はできない。世の中には医者でもあり弁護士でもあるなんて人もいるが、きっとその人たちは独立する別々の分野を学んだとは思っていないのだろう。二足の草鞋を履いている人は、実は三足も四足も履いているくらい足を強化できているのだと思う。


3.学びの反映

 偉そうに書いているが、実はこんなことを改めて考えたのは昨年度の看護師国家試験の問題を見たからだ。看護学校で授業をするため毎年前年度の精神科の問題をチェックするのだが今回は特に驚いた。いかにも看護師の分野という問題もあったが、中には精神保健福祉士の知識だろう、これは心理士の技法だろう、医師の視点だろうという問題もたくさん出題されていた。
 勉強する学生にとっては難儀だろうが、よいことだと思う。他の専門知識を学ぶことでより自分の専門である看護学を深めていくことができるのだ。
 もちろん一人の人間の頭に入る知識には限界がある。現場ではわからなかったら専門職のスタッフに尋ねてよい。しかしただ丸投げするのではなくその時に少しでも学びの姿勢を持ちたいと思う。

 看護学校で授業をさせてもらうようになってからもう随分経つが、一番伝えたいのは看護学しか学んでいない看護師にならないでということ。他の学問も、もちろん雑学や趣味も含めて色々なものを学んでほしい。そしてそれを自分の看護に反映させてほしい。
 この仕事は総合芸術なのだから。


(文:福場将太 写真:カヤコレ)

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