コラム

2019年3月「愚かなれ」

愚かなれ

 日本人は謙遜の美徳があるのでやたらに『愚か』という言葉を使う。「うちの愚妻が」「うちの愚息が」なんてよく言うし、医者同士の情報提供でも「愚見を述べます」なんて言ったりする。正直そこまで遜らなくてもと思う場面も多い。
 しかしこの前ふと気付いたのだが、僕は『愚か』という言葉が好きらしい。もちろん使い方によっては他者を侮蔑したり批判したりする言葉だと思う。ドラマ『相棒』の主人公・右京さんが許せない犯人に対して「愚かですねえ」と言う時は本当に軽蔑の意味合いで使われている。でも漫画『こちら葛飾区亀有講演前派出所』にはこんなシーンがある。主人公・両さんが弟の結婚式で挨拶するのだが、両さんは弟のことを「わしからすればまだまだ愚かな弟で」と語る。それを聞きながら両さんの父親が「お前自身が一番愚かだろうが」と口にするのだが、僕は何故かこのやりとりが大好きだ。面白い会話にまずは大笑いしてしまうが、結婚式のムードも相まって、兄弟愛・親子愛、ひいては両津家の家族愛を感じてついホロリとしてしまう。
 僕が好きな『愚か』はこちらに近い。謙遜でも軽蔑でもなく、愛しさのニュアンスを含んだ使い方。自分自身や仲間が馬鹿なことをした時、それを『愚か』と表現したい。

 人間とは愚かなものだと思う。どれだけ賢さを求めても完全な賢者や聖者になることはできない。もちろんそれを努力しない言い訳に使ってはいけないが、自分に厳し過ぎる人、頑張ってもうまくいかなかった人にはぜひ愛しさと労いを込めて伝えたい…人間とは愚かなものなんだと。愚かでいいんだと。
 強がったり弱音を吐いたり、調子に乗ったり投げやりになったり、落ち込んだり復活したり、叶わない夢を捨てきれなかったり、全てを投げ出して恋に身を投じてみたり…理性や損得勘定だけでは生きられない、そんな性懲りのなさが人間の愛しい愚かさだと思う。
 人間が愚かでなかったら音楽も文学も生まれない。芸術だけでなく、学問だって人間が愚かだからこそ進歩していく。医療や福祉も、愚かな人間同士の支え合いの営みである。

 来月から新年度が動き出す。また愚かに頑張りたいと思う。

(文:福場将太 写真:カヤコレ)

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