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コラム
2019年2月「恐怖の均整」
医学部教育がどうあるべきか。大学に残らず町医者をやっている人間に偉そうなことを言う資格はないのだが、今回はあえて青い戯れ言を書いてみたい。もちろん実際に教育に携わっておられる方々は僕の何十倍も検討を重ねているはずだし、理想はわかっていても現実はそうもいかない事情が多々あるのだとも思う。それでも不正入試問題で医学部のあり方が再検討されている今、かつてそこで学んだ人間として一考してみたい。
1.大学のはずなのに
他学部と医学部の大きな違いとしてまず浮かぶこと。それは学生のほぼ全員が医師免許取得を目指していることだ。本来大学とは学問を探求するための場所であり、高校までのように教科書をそのまま受け入れるのではなく、何が正しいかを自分で模索して見極めていくための学校だ。だからこそ『生徒』ではなく『学生』と呼ばれる。
しかし医学部はそうではない。医学の基礎を学び国家試験合格を目指すことがまず第一であり、自由に医学を探求するなんてことはできない。つまるところ医学部は大学でありながらその実態は医者の職業訓練校なのだ。だからこそ今回の不正入試で指摘されたような将来的な医師数を意識しての手心なんぞが加えられてしまう。
現状では、例えば医者になる気はないけど純粋に医学を学んでみたいとか、自らも難病を患ったのでそれを知りたいという動機で医学部に入学するのは難しいと言わざるを得ない。仮に入学したとしても大きな温度差を感じることになるだろう。実際に僕も入学式で学長から君たちは将来医者になるんだからうんぬんという話をされて面食らった。え?もうそれは決定事項なの?、と思わず心で問い返してしまった。
そんなわけで医学を探求するのは大学時代ではなく、大学院や現場に出てからとなる。基礎知識がなければ探求もできないので大学時代はとにかく知識を詰め込め、とにかくまず免許を取れというのならそれはそれで仕方ないとも思う。
しかしそうなると一つ大きな問題が生じる。
2.引き返せない一本道
医学部入学時点で医者になる覚悟を決めておかねばならないとすれば何を根拠にその覚悟を決めればよいのだろう。医学のことも医者の仕事も何も知らない18歳が一生の決断をどうやってすればいい?もちろん歌手になりたいという人が歌手の仕事を全部把握してオーディションを受けるわけではないから、これ自体が珍しいことではない。ただ医学部の問題点は入学してしまったら人生の路線変更が極端に難しいということだ。とりあえず入学してみて医者になるかどうかはそれから考えよう、とはいかないのである。
当然ながら人間には向き不向きがある。医者の仕事を知ってみてやっぱり自分は違うなと感じる学生がいてもおかしくない。実際に5年生の病院実習で患者さんと触れ合いそこで初めて自分には無理だと痛感する学生もいる。しかし医学部にはそこから医者以外の道を検討する分岐点がない。ゆっくり立ち止まって考えられる分かれ道がない。多くの学生は医学部に入った以上医師免許を取らなければ生きる道はなく、向いていようが向いていまいが飛び込んだプールをとにかく向こう岸まで泳ぎ切るしかないのである。
まあ百歩譲ってそれもよしとしよう。よくわからないうちにその道に乗せられもう路線変更できないなんて話は伝統や世襲制がはびこる日本社会ではさほど珍しいことでもない。
僕が思う医学部教育の最大の問題点は、周囲と足並みを揃えることばかりを学生に習慣化させてしまうことだ。
3.恐怖の均整
病院は組織だし医療はチームワークが基本なので確かに協調力は必須だ。だが同じくらい必要なのは決断力、そしてその決断をするための信念ではないかと思う。
大学時代、みんなと同じようにレポートを書けと言われたことがあるが、それだけはどうしても納得できなかった。自分の実習の報告なのに、どうしてみんなと同じ文面にしなくてはならないのか。
進級試験においてもそうだった。みんなと同じ資料を使い同じように勉強すれば受かる。自分なりの方法で勉強して他のみんなが解けなかった問題を自分だけ解いたとしても、その問題は不適当とされ得点にはならない。正しいことも間違えることもとかくみんなと同じでなくてはならないのだ。
研修発表会の時もそうだった。各班が壇上で自分たちの研修を報告しその後は会場の学生から質問を受けるのだが、ここでも全ては芝居であった。あらかじめ質問の内容を友人に頼んでおき、あらかじめ用意された答えを返す。何故こんなことをするかというとこの発表会は教授の先生方も見ているから。質問に答えられなければ評価が下がるという不安が学生に働いているのだ。質問も答えも決まっているのだから客席は真剣に発表を聴く必要もなく、みんな国家試験の問題集を解いていた。なんて不毛な発表会。もし僕が突然手を上げて想定外の質問をしたらどうなっただろう。裏切り者として袋叩きにでもなっただろうか。
当たり障りなく物事をこなす、それが悪だとは言わない。でもそれでは決断力や信念は身に付かない。「みんなと同じようにやる」「無難にうまくこなす」、これが僕が医学部で一番学ばせられたことだ。これが医師の理念なのだろうか。ヒポクラテスの誓いにそんなこと書いてあっただろうか。
足並みを揃えているといえば聞こえはよいが、集団無責任にもなりかねない恐るべき均整である。
もちろんここで書いているようなことは多くの学生がわかっている。医学部のあり方について誰もが疑問を抱いている。ならばストライキや革命を起こせばいいじゃないかと思われるだろうがそうもいかない。何せ学生の命運は大学が握っているのだから。おかしいと思いながらもレポートを書く、試験を受ける、研修発表をする。逆らえば単位がもらえず留年になるかもしれない、放校になるかもしれない、そうなれば医師免許をもらえなくなる…その恐怖が学生を支配しているのだ。
冒頭にも書いたように医学部が学問を探究する学校であったならこんなことにはならないだろう。よりよく学ぶための要望をどんどん大学に出して闘えばよい。でも医学生は医師免許取得がまず第一、その許可を与えてくれる大学を敵に回すわけにはいかないのだ。
だから「今はとにかく免許を取ることに集中すればいい」「本当の勉強は医者になってからすればいい」なんて言い訳が横行する。でも果たしてそうだろうか。学生時代にちゃんと決断力や信念を身に付けておくべきではないだろうか。
試験の問題がリークされたり、優等生のノートが盗まれたり、カンニング事件が起こる度に思っていた。一体何をやってるんだろうと。一番大切な人間性が失われては本末転倒ではないかと。
4.失敗することの大切さ
医療は患者さんのためにある。命を預かっているから無責任な挑戦や失敗は許されない。だから医学部で教え込まれる協調性の精神、失敗なくうまくやる技術は間違ってはいない。
でもだからこそ思う。失敗が許されない仕事だからこそ学生時代くらいはしっかり失敗の経験をした方がよいのではないかと。僕が精神科医だから特にそう思うのかもしれないが、この仕事は葛藤だらけだ。当たり障りないみんなと同じ答えでは通用しない局面が多々ある。医者に信念と決断力がなければ患者さんの真の回復は成し得ない。今になって、学生時代にもっと挑戦しておけばよかった、もっともっと失敗しておけばよかったとつくづく思う。
先ほど医学部には医者の道以外に進む分岐点がないと書いたが、正確に言い直そう。実際には分岐点はいくらでもあるのだがそれがまやかしによって見えなくなってしまう環境なのだ。仮に留年したとしても、退学したとしても、それで不幸が決定するわけがない。医者になるしかない運命、そんなものは自意識過剰な思い込みだ。にも係わらず、医学部マジックによって自分には一本道しかない、この道を外れたら転落人生だと信じ込まされてしまうのである。
5.それでも医学部を愛してる?
とまあ医学部をボロクソに書いてきたが、僕はやはり医療という営みを敬愛している。そして命を扱う度胸が必要な仕事なのに、留年だ免許だとそんな価値観に囚われてヘナチョコな青春を送っている医学生というものが可愛くてならない。医学部への文句が尽きないのも、なんやかんやで感謝しているからこその苦言だと思う。
確かに周囲に合わせることでしか動けないつまらない連中もいたが、素敵な個性やしっかりした信念、あたたかい人間性を持った素晴らしい人たちにもたくさん出会った。足並みを揃えたふりをしながらも、ブラック・ジャックやパッチ・アダムスが大好きな医学生はたくさんいるのだ。
そう考えれば大学は恐怖の均整を行ないながらも心の奥底で期待しているのかもしれない。医学部マジックのまやかしを打ち破ってくれる、真の医学生の登場を。
2月、受験シーズンである。健康と人間性に注意して、この愚かで愛しいゲームを存分に頑張って頂きたい。受験が戦争ではなくお祭りになるように。
(文:福場将太 写真:カヤコレ)