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コラム
2018年4月「自分で選んだ冒険」
毎年春に公開されるドラえもん映画、楽しみにしている人も多いだろう。その第1作は1980年の『のび太の恐竜』であり、この歳は僕がこの世に生を受けた年でもある。僕の人生はまさにドラえもん映画と歩んできたといってもけして過言ではない。医学部を卒業したものの医者になれずさまよっていた2005年が唯一ドラえもん映画も公開されなかった年というのも不思議なめぐり合わせだ。2006年からドラえもん映画はキャストや作画を一新して新シリーズが始まったが、僕もその年にこの法人に就職して医者を開始した。まさに人生の新シリーズ開始といったところか。
まあそんなこじつけ話はよいとして、僕には子供の頃から好きでたまらない感覚というのがある。言葉では説明しにくいが、それは「旅行の最中にちょっとだけ家に立ち寄った時の感じ」である。例えば修学旅行の途中で馴染みの駅を通過した時、あるいは勤務中に忘れ物を取りに一瞬家に帰った時、僕はたまらないものを感じる。愛しさ、寂しさ、切なさ、懐かしさ…それらが絶妙なブレンドで一気に全身に湧き起こるのだ。普通に学校や仕事が終わって帰宅してもこの感覚はない。あくまでまだ旅の最中であり、それなのにちょっと立ち寄ったからこそ得られる感覚なのだ。
何故冒頭でドラえもん映画の話をしたかと言うと、実はドラえもん映画にはこの感覚を湧き起こすシーンがたくさんあるからなのだ。子供の頃からどうして僕はドラえもん映画が好きなのか。もちろん魅力的なキャラクターや巧みなストーリーもそうなのだが、大きな理由がこの感覚を得たいがためなのだと認識している。
例えば第5作『のび太の魔界大冒険』。仲間も悪魔に捕まってただ二人魔界に取り残されたのび太とドラえもんが、タイムマシンで悪魔が出現する以前の日に戻る。そこはいつもの勉強部屋なのだが、窓の景色を見ながらのび太が口にする…「見てよ、元の世界だよ。魔法も悪魔もいない平和な世界だよ」。たったこれだけのシーンが子供の頃から僕はたまらない。思わず泣きそうになる。
続いて第13作『のび太と雲の王国』。これまた仲間が捕まってのび太とドラえもんだけが敵地から鳥に乗って脱出し自分たちの王国に帰還したシーン。みんなで楽しく造った王国の街並みが夜景に美しく浮かび上がる。問題は何も解決していないけどここは確かに自分たちの王国。流れる素晴らしい主題歌と空撮の映像も相まって、僕は映画館で全身に鳥肌が立った。涙が滲んだ。
さらには映画第14作『のび太とブリキの迷宮』。異星の地価迷宮で追い詰められてのび太としずかだけが地球のいつもの町に強制脱出させられてしまう。そこは旅立つ前にみんなで集った河川敷であり、聞き慣れた電車の通過音がする。遠い星に仲間たちを残し、もはや救出に行く術もなく自分の部屋に帰宅するのび太…。どこかほっとしてどこか後ろめたいこの独特の感覚…膝が震えた。
おわかりかな?全てが解決しみんなで帰宅した大団円のシーンでは味わえない。困難な冒険の渦中において突如として穏やかな日常に自分だけ帰還するからこその感慨なのだ。
ここまでお読み頂いて、一体何を言ってるのかわけがわからないと思われたかもしれない。でももし「わかるわかる、わかるよ!」という人がいたらぜひ一度語り合ってみたい。僕にとってたまらないこの感覚に一体どれくらい共感が得られるのかとても興味がある。
さて、話は少しずれるが、上に挙げたシーン以外にもドラえもん映画においては「冒険の途中で日常に逃げ帰るチャンス」が多くの作品において見られる。これは藤子F先生が意図的にやっていらっしゃったのではないかと僕は想像している。
例えば第2作『のび太の宇宙開拓史』、第6作『のび太の宇宙小戦争』、第11作『のび太とアニマル惑星』、第15作『のび太と夢幻三剣士』。確かに事件は起こっているが別にそれはのび太たちの生活に影響を及ぼすものではない。言うなれば別世界の話で他人事である。それでものび太たちはそのまま日常に居座ることを選ばずもう一度その冒険世界に飛び込んでいく。第3作『のび太の大魔境』でも、元の世界に逃げ帰る方法は示されるのだが、逡巡した挙句のび太たちは自ら戦火に飛び込んでいくのだ。ちなみにここで先陣を切るのは我らがジャイアン。ここは全シリーズの中で僕が一番好きなシーンである。
冒険に巻き込まれてもう頑張るしかない状況だから頑張るというのではなく、別に頑張らずに逃げてもいい、そのまま知らん顔してもいいチャンスを与えた上で、今度は自分の意志で冒険を選ぶ。それが藤子F先生の描く「少年の勇気」であり、だからこそのび太たちの頑張りは感動を呼ぶのだと思う。藤子F先生が逝去された以降、様々な脚本家が新たなドラえもん映画を描いているが、この点を重視している作品は少ない。冒険に巻き込まれてそのまま最後まで駆け抜けてしまうストーリーが多いけれど、ぜひまた「冒険の最中に一度日常に帰還するが今度は自分の意志で冒険に戻る」という要素を取り入れてほしい。
僕が今この仕事を続けられているのも、一度は逃げ出すチャンスを与えられたからだと思う。医学部にいた多くの学友が医者家系に生まれていた。大病院の二世・三世もたくさんいた。僕も紛れもなくそうであるし、「自分は親に医者にならされた」「これ以外に道はなかった」と言っている連中が、そして心のどこかでそう思っている自分が嫌で仕方なかった。でもあの2005年、一度業界から離れてみて、考えて、今度こそ自分の意志で飛び込んだつもりだ。もちろん今でも迷いはある。それでも今の冒険は自分で選んだ冒険であり、他の誰のせいにもできやしない。
なんだか人生の大切なことをドラえもんを引き合いに語るというのもおかしな感じだが、これが僕の心なのだ。僕の心においては、精神医学も音楽も推理小説も、そしてドラえもんも同列で相互にエネルギーを与え合っている。そこに優劣や優先順位はない。
さあ、いくつかの出会いと別れを経て新しい年度が始まった。僕はそんな心で選んだ冒険を続けていくつもりだ。いつの日か診察室の机からドラえもんが飛び出してくるのを楽しみにしながら。
(文:福場将太 写真:カヤコレ)