コラム

2016年8月★スペシャルコラム「刑事カイカン 夕焼けの丘 (中)」

*このコラムはフィクションです。

■第二章① 〜ムーン〜

 …ピンポーン。
 反応がないので二度目のチャイムを鳴らす。落ち着け、ここで焦ってもしょうがない。
 腕時計を見る…午後3時。思ったよりも早くここに辿り着けたな。

 警視庁を飛び出した私はまずタクシー会社に当たった。今朝凪野しらべを乗せた車両を見つけるためだ。十年も入院している患者だ、体力を考えても病院からどこかへ向かうならタクシーを利用した可能性が高い。そして間もなく彼女らしき客を乗せたという運転手が特定された。その女性はできるだけ品揃えの多いレコードショップに行ってほしいと指示したため、新宿中心街の大手販売店まで送迎したという。
 凪野しらべがどうしてそんな場所を目指したかはわからなかったが、私はさっそくその店に向かう。すると店員も彼女らしき客を憶えていた。タイトルもアーティスト名もわからない曲のCDを探していて、結局発見できずにいたので別の店を紹介したと教えてくれたのだ。CD探しが危険を冒して病院を抜け出した理由なのだろうか…と考えながら私は彼女の足取りを追った。
 次に彼女が訪れたのは同じく新宿のレコードショップ。しかしそこでも結果は同じ、また紹介されて次の店へ…と渡り歩いてやがて彼女が向かったのが郊外にあるショッピングモール内の店舗だった。しかし私がその店で確認したところ、彼女はそこには来ていなかった。
 かくして忽然と凪野しらべの足跡は途絶えたのだが、そのショッピングモールの正面でバーゲンのビラ配りをしていたピエロが素晴らしい記憶力を発揮してくれた。母親から預かった彼女の写真を見せると、茶髪にピアスの若い男と連れだって歩いていったと証言したのだ。
 CDを探していた彼女がどうしてそんな男と…?悪い予感もしたがとにかく私はピエロから二人が向かった方向を教えてもらいその道に進む。そして刑事の基本・聞き込みをしながら回ったところ、タバコ屋の老店主が彼女らとおぼしき二人連れを目撃していた。彼女らが歩いた道が人通りの少ない四ツ谷の住宅街で助かった。もしこれが新宿のど真ん中だったら、きっと誰も二人を気に留める者はいなかっただろうから。
 二人が入っていったと老店主が示してくれた裏路地の先は行き止まりで、そこには小さな家具屋とアパートしかなかった。家具屋にはいなかったので、二人はこのアパートに入ったのだと推測できる。見上げるとアパートは6階建て。造りは古いが、屋上にはそれとは不釣り合いに有料放送のアンテナが立っている。
 私はアパート名から大家の連絡先を調べる。するとアパートの最上階に住んでいるというので、路肩に愛車を停めてその部屋を訪ねた。迎えてくれた大家は愛想の良い初老の女性で、「茶髪にピアスの若い男の子なら、きっと305号室の前島さんですよ」と教えてくれた。
 …こうして私はこの部屋をつきとめるに至ったのである。

 もう一度表札を確認する…前島浩之、間違いない。約三時間でここまで辿り着けたのは、もちろん運にも助けられたが、私の捜査能力が向上していたからだろう。久しぶりに単独で動いて実感した…あの人のそばにいた年月で私は確実に成長していたのだと。
 …「いいかいムーン?」。人差し指を立てて得意げに謎解きする警部の姿が浮かんだ。いかんいかん、今はそんなこと考えてる場合じゃない!
 しびれを切らしてもう一度チャイムに指を伸ばしたところでガチャリとドアが開く。
「…お待たせしました」

 現れたのはTシャツにジーンズ姿の青年だった。浅黒い肌に茶髪、左耳にはピアスも光っている…ピエロの目撃証言どおりだ。ただ軽薄そうな外見とは不釣り合いに表情は固く、また全体的にどこか活気がなかった。
「突然すいません、警視庁のムーンという者です。この部屋にお住いの前島浩之さんですね?」
 警察手帳を示し改めて自己紹介すると、彼は「ええ」と返す。さらに間髪入れず彼女の写真を示すと、その瞳が一瞬泳いだのを私は見逃さなかった。…当たりだ。
「凪野しらべさんという女性です。今朝病院から姿を消されて、お母さまから警察に相談がありまして」
 黙っている前島に私は「行方をご存じありませんか?」と続けた。数秒の間をおいて「どうして俺に?」と返される。
「彼女があなたと歩いていたという目撃証言がありましてね」
 少しカマをかけてみる…臆病者ならここで折れるはずだ。しかし彼はそこで眼光を鋭くすると、口元だけ笑って答えた。
「知りませんね、人違いじゃないですか?」
「本当ですか?嘘をつくのはよくないですよ」
「しつこい刑事さんだな、知りませんって。俺、これでも浪人生なんですよ?女の子と遊んでる暇なんかありませんって」
 …浪人生にしてはチャラい容貌だと思うが。
「じゃあ俺、勉強が忙しいんで…」
 そう言って彼はドアを閉めようとしたが、私は一歩割り込む。
「わかりました。では最後に一応室内を確認させてください。それで彼女がおられなければ退散いたします」
 もしここで捜査令状を見せろなどと言ってきたら完全なクロだったが、前島は面倒臭そうに「しょうがない、わかりましたよ」と私を招き入れた。

 まずは玄関。そこに女物の靴はない。念のため靴箱の中も見せてもらうが徒労に終わった。続いてその先には六畳ほどの部屋。勉強机の上には赤本が無造作に置かれ、その隣には参考書や問題集が並ぶ本棚。そして冷蔵庫の横には小さな流し台と伝熱コンロが併設している。見る限り人間が隠れられるスペースはない。
「お部屋はここだけですか?」
「見ればわかるでしょう、ワンルームですから。浪人生がそんな何部屋もある家に住めませんって」
「テレビがありませんね」
「勉強の邪魔になりますから。それにうるさいのは嫌いなんです」
「ベッドもありませんが…」
 私がそう言うと前島はソファを足で示して「ここで寝てるんですよ」と不機嫌そうに答えた。確かにソファの上にはたたまれた毛布。一応めくらせてもらったがもちろん彼女がいるはずもなく、間からトンボが二匹飛び出してきただけだった。まあそれはそれで驚いたが。小さく声を上げた私を前島は冷ややかに見た。…落ち着け落ち着け。
 気を取り直して室内を見回す。許可を得て冷蔵庫も開けてみるが、ペットボトルやパンが無造作に放り込まれているのみ。勉強机の正面にある出窓にも手を伸ばすが…開くのはわずか5センチほど、とても人間は出入りできない。そもそもここは3階だ。
「ちなみにそちらは?」
 左右の壁にはドアが一つずつある。私は右壁の方を示して尋ねた。
「トイレと風呂ですよ。まさかそこまで確認するんですか?」
「念のためですから、捜査にご協力ください」
 …本当は正式な捜査じゃないんだけど。私はそのドアを開ける。そこには小さな脱衣所と洗濯機。そして前方には洋式トイレのある固執。右手には浴室。私は洗濯機のドラムに浴槽、便器の中まで確認したがもちろん誰もいなかった。心の中でだんだん自信がなくなってくる。
「刑事さん、いい加減にしてくださいよ。正直そんな所まで見られるのは不愉快です。プライバシーの侵害じゃないですか」
「どうもすいません」
 平謝りで元の部屋まで戻る。そして左壁のドアについても尋ねてみた。先ほどのドアよりやや小さい。
「そこは収納ですよ」
「すいません、これで最後ですので確認させてください」
 前島は渋々といった感じでそのドアを開く。確かにそこは収納、五段ほどの棚になっていて小物などが置かれていた。奥行きは50センチほど…全ての棚を取り外しでもしない限り人間が隠れるのは不可能だ。
「納得して頂けましたか?」
 片手を腰に当てて前島が言う。私はもう一度室内を見回した。
 …無理だ、女性一人を隠せるスペースなどない。私は抜き打ちで訪問したのだから事前に外に避難させることもできない。少なくとも…凪野しらべはここにはいない。いるのは羽音をさせて飛び回っている先ほどのトンボくらいだ。
「お騒がせしました…お勉強の邪魔をしてすいません」
 私は深々と頭を下げるしかなかった。

 前島の部屋を出て階段への同化を歩いていると、スーツ姿の女性とすれ違う。少し気になって顔を観たが凪野しらべとは明らかな別人だった。彼女は有料放送の受信料を集金しているようで、一部屋ずつ訪ねて回っていた。もしかしたら…と写真を示して見たが、見覚えはないとのこと。そりゃそうか。そこまでうまくはいかない。

 アパートを出て私は愛車に乗り込む。困った…どうしよう。間違いないと思ったんだけどなあ。ここまで追ってきて手掛かりはなくなってしまった。一体どこで間違えたんだろう。もしかしてピエロの目撃証言からして別人だったんだろうか?自分の捜査能力が上がってたなんて…勘違いかな。
 しばし途方に暮れる。そして気付けば私は携帯電話を手にしていた。
 悔しいけど…相談してみるか、警部に。色々動き回ってイライラもおさまってきたし。でもなあ…やっぱりシャクだなあ。
 時刻はもうすぐ午後4時。そうだ、大切なのは彼女の安全だ、意地を張ってる場合じゃない。私は意を決してコールした。
「おかけになった電話は現在電波の届かない所か…」
 まさかの電源切り。そこまでする?確かに勝手に飛び出してきたのはこっちだけどさあ。あ〜もう、またイライラしてきた!
 私はあてもなくアクセルを踏み込んだ。

■第二章② 〜前島浩之〜

「見つかるかと思ってドキドキしたね」
 自分の靴を持ったしらべが悪戯っ子のように笑って姿を見せた。
「すごいよ前島くん、この仕掛け」
「そんなことないよ。それよりさ、本当にいいの?お母さん心配してるみたいだよ。さっきの女刑事さんも一生懸命だったし」
 彼女は一瞬申し訳なさそうな顔をしたが、すぐに意気込んで言う。
「大丈夫、お母さんには後でちゃんと説明するから。あの曲の舞台になった丘を見たら、ちゃんと病院に帰るから」
 俺は不安になっていた。警察が動いていることもそうだったが、それ以上に彼女の健康が。
「体調は平気なのかよ」
「うん、自分の体は自分が一番よくわかってる。だからお願い。私の一生に一度の我儘だと思って、私を夕焼けの丘に連れてって!」
 力強く頷く彼女…そこに迷いはない。壁の時計を見ると4時を回っていた。文字盤の前を毛布から出てきたトンボが通過する。
「ほら、トンボさんも行けってさ。あの曲の歌詞にもトンボが出てくるもんね。これはもう神様が行けって言ってるんだよ」
「そう…かな」
「大丈夫、神様は私の味方だから」
 微笑む彼女。純粋で儚げな笑み…俺も合わせて笑顔を作る。
「わかった…連れて行ってやるよ、しらべちゃん」
「ありがとう!明日からちゃんとまた患者さんに戻るからね、私」
 俺も明日からまた退屈な役立たずに戻る。今日はきっと俺にとっても一生に一度の人助けだ。

 アパート周囲に女刑事がいないのを確認して俺たちは駐車場に向かう。そしてこれまた親父にせがんで買ってもらった四駆に乗り込んだ。
「すごいね前島くん。こんな車を運転できるなんて」
「別にすごくないよ、普通だって」
 俺がそう言うと、助手席の彼女はちょっと淋しそうに「普通か…」と呟く。
「よし出発するぞ、シートベルトはしたかい?」
 わざと明るくそう言って、俺はアクセルを踏み込んだ。

■第三章 〜ムーン〜

 午後5時、私は警視庁に帰着する。その後も少し聞き込みをしてみたが成果は得られなかった。部屋に戻ると警部はいつものデスクにいて、その口にはおしゃぶり昆布。窓からは夕焼けが注ぎ室内を茜色に染めていた。
 入ってきた私に気付き、「やあムーン」と低い声が言う。
「勝手をしてすいませんでした。ただ今戻りました」
 バツが悪かったが私はそう言って頭を下げる。
「それは別にいいんだけど…見つかったのかい?凪野しらべさんは」
「いいえ」
 静かにそう答えて警部に歩み寄る。私はタクシー運転手からレコードショップ、ビラ配りのピエロ、タバコ屋の老店主、そしてアパート大矢と尋ね歩いて前島浩之に行きついた経緯を報告した。
「レコードショップか…」
 そう呟くと警部は昆布をタバコのように指に挟む。そしてゆっくりと言葉を続けた。
「実は凪野しらべさんのお母さんに私も会ってきたんだ。それと主治医の先生にもね」
「え?」
 驚いて思わず声が出た。変人上司はそこで照れ臭そうに笑う。
「捜索して保護するっていう君の意見には反対したけど…、まあ状況は把握しておくべきかと思ってね。それでまず彼女が病院を飛び出した理由を見つけてみようと思ったんだ」
「それですずらん医大病院に?」
 警部が頷く。じゃあさっき携帯電話の電源を切ってたのも…院内にいたから?
「お母さんもなかなか思い出せなかったことなんだけど…何年か前にしきりにしらべさんが一つの曲を探してたんだって。看護師さんにも尋ねて回ったりもしてたらしい。なんでもラジオから偶然流れてきた曲で、タイトルも歌手もわからない。当時お母さんもレコードショップを探したんだけどやっぱり見つからなくて」
「じゃあ彼女はその曲を探すために?」
「あきらめられなかったんだろうね。君が調べてくれたように、タクシーでレコードショップに向かったんなら多分間違いない。それと主治医の先生の話だと…彼女の心臓はかなり限界が近いらしい」
「そんな…じゃあ急いで見つけないと」
 私は思わずそう言ったが、警部はやはりそこには同意しない。無言で昆布をくわえる上司に私は続けた。
「でもそれなら彼女はどこに行ったんでしょう。最後に紹介されたショッピングモールの店舗には行ってませんでした。それに一緒に目撃された若い男は一体…」
「CDを探すために飛び出した彼女が男性と歩いていたとすると…」
 右手の人差し指を立てる警部。
「彼女がずっと探していたその曲の手掛かりを、その人が持っていたのかもしれないね。どういう経緯で彼女がそのことを知ったのかはわからないけど、もしそうだったら初めて会った男性に彼女がついていったのも納得できる。まあその男性が前島さんだとは断定できないけどね」
 警部の推理を聞きながら私も考える。
 ずっと一つの曲を探していた彼女。どの店を回っても発見できない。そんな時に何かの拍子にその曲のことを知っている男と出会ったとしたら?
 幼い頃からずっと病院にいた女性だ。大人になる中で当然経験する世の中や男の汚さを彼女は知らない。もしあの軽薄そうな男の口車に乗せられついていってしまったのだとしたら?
 …私の中で新たな不安が加わった。
「警部、行きましょう」
「…どこへだい?」
「彼女と歩いていた男が、前島さんかどうかを確認する方法があります。二人がピエロに目撃されたのはショッピングモールの入り口付近。つまりその辺りの防犯カメラを調べればいいんです。私は前島さんの顔を知ってるんですから」
 そうだ。二人が一緒に写っていれば彼女と連れだったのは前島だと特定できる。
「確かにそうだけどね…。でも前島さんの部屋に彼女はいなかったんでしょ?」
「そうです。もしカメラに前島さんが写っていなければ完全に無関係だという証明にもなります。もしその逆であれば…もう一度事情聴取すべきです!」
 こちらの勢いとは裏腹に警部は黙ったまま。
「お願いします。主治医の先生も危ない状態だとおっしゃっていたんですよね?お願いします、警部!」
 先ほどより深く私は頭を下げる。返される沈黙。顔を挙げると、警部はくわえた昆布を口先で回しながら小さく唸っていた。

 …プッチーン。

 乗り気でない警部を腕ずくで助手席に押し込んで私はショッピングモールに走る。そして車で待っているという警部を残し、防犯カメラが見られる部屋に通してもらった。確認の結果…入口付近で前島を呼び止める凪野しらべ、一緒に歩いていく二人がしっかり記録されていた。今日の正午前の映像だ。
 私が急いで戻ると、警部は社外に出て昆布をくゆらせていた。彼女と一緒だったのが間違いなく前島浩之だったと報告する。
「警部、やはり彼でした。彼は私に彼女のことなんか知らないと言った…偽証したんです」
「…そうだね」
「行きましょう、彼の部屋に」
「でもしらべさんは部屋にはいなかったんでしょ?」
「どこか別の場所に監禁してるのかもしれません」
「監禁って…。別に前島さんが悪人だと決まったわけじゃないよ、ムーン。外で立ち話して別れただけかもしれない。彼の部屋に彼女のいた痕跡が何か一つでもあったかい?」
「それは…」
 私は室内の様子を洗いざらい報告する。警部はそれを聞きながら長い前髪を立てた人差し指にクルクル巻きつけ始めた。考えごとをする時の癖だ。
 私が言葉を止めても警部は無言で考え続けている。夕焼けの中の静寂。斜陽は燃えるように赤い。その赤さがまるでもう時間切れだと言っているようで、さらに不安を掻きたてた。
 …無理か?確かに警部の言うように、何か一つでも根拠がなければこれ以上前島を問い詰めることは難しい。何か、何かなかったか?彼の部屋で私は何か見ていないか?

 その時、警部のハットに一匹のトンボがとまった。聞き覚えのある羽音。
「そういえば…」
「何代?」
 口を開いた私に警部は意識を向けた。
「前島さんの部屋のソファ…そこに置いてあった毛布の間からトンボが二匹飛び出したんです」
「そう…新宿でも郊外まで来ればトンボがいるんだね」
 そんな秋の風物詩に和んでいる場合じゃない。しかし、そう言った瞬間警部の指は止まり、全身が固まっていた。まさかこのパターンは…。
「警部…」
 風がそよと吹く。ハットからトンボが飛び立ち、それが合図であるかのようにその低い声は告げた。
「ムーン、確かに彼女はその部屋にいたんだ」
 そして警部はくわえていた昆布を飲み込んだ。

TO BE CONCLUDED.

(文:福場将太)

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