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コラム
2014年04月「同期の桜」
高校までの同級生は大概が同い年であるのに対し、その後の大学や専門学校となると同じ学年だからといって同い年とは限らない。特に医学部は現役合格で入学する者よりも浪人経験者の方が多い世界だ。浪人の中には4浪や5浪、あるいは他の大学や社会人を経験してから入学してくる者もいるから、同学年でもその年齢は様々である。それでも自分と同じ年度に入学した者が「同期」であり、自分より先に入学した者は「先輩」、後に入学した者は「後輩」となる。そして面白いことにこの関係はその後何が起こっても変わることはない。例えば先輩が留年して自分より下の学年になったとしてもそれはもちろん先輩のまま、仮に後輩の方が自分より年上であったとしてもそれは永遠に後輩なのである。
この先輩・後輩の文化は日本独特のものだろうか?そもそも自分より先に入学していたというだけで相手に敬語を使うというのも変な話だ。時々こんな場合もある。AとBは予備校に同じ年度で入ったからお互いに「同期」の刻印を得る。しかしその後Aが先に受験に合格、Bが2年遅れで入学したとしよう。Bと同じ年度で入学したCは当然Bの同期。当然CにとってAは先輩、しかしAとBにはすでに同期の刻印があるからそれが変わることはない。3人で話せば敬語とタメ口がちょっとややこしいことになる。まあこれはこれで一種のゲームルールのようなものだと考えれば結構楽しい気もするが。
社会人になってもこのルールはある。同じ年度に入社すればそれは同期。芸人でもミュージシャンでも同じ年度にデビューすれば同期。う~ん、たまたまそのタイミングになっただけなのにね。
しかしこの「同期」の刻印は何気に強い力を持っている。私のように自分から交友関係を広げていくのが苦手な人間からすれば、自動的に仲間の刻印をもらえるのは結構有難い。学生時代はそうでもなかったけど、卒業してからはそれをとても感じる。昨年はそれこそシンクロニシティかと思うほど大学時代の同期との再開が重なった。東京に暮らす同期Tが北海道にいる同期Yに「明日の当直のバイトを探してるんだけどどうだい?」とメールを送った。もちろんこんな遠距離当直があるはずもなくこれは誤送信メール。しかし大真面目なYは「俺は今北海道だから東京の当直は無理」と返信。まあ普通ならここで話は終わるのだがなんとその1週間後Tは北海道に出張の予定があったから運命の糸は手繰られ始める。Tは「俺今度北海道に行くから会おう」と持ちかけ、Yは「そういえば福場もいるはずだ」と答え私にも連絡が入った。そんなこんなでそれこそ卒業以来ぶりくらいに3人で飲むことになった。いや、学生時代だってこの3人で飲みに行ったことなどなかったかもしれない。それでも同期の刻印は見事に輝き、お互いの仕事の話や同級生の近況などで話題は尽きることなく花が咲いたのであった。急な集合だったからゆっくりできなかったのが本当に悔やまれる。そして運命の悪戯はもう少し続き、同期のEがかなり近くで働いていることが判明。後日私はEと食事をしたが、TとYとの再会を教えると「どうして呼んでくれないの!」とこれまた悔しがっていた。
とまあ昨年はやけに同期のヒポクラテスたちと再会した1年だった。正直学生時代そんなに同級生との人間関係を頑張っていたわけではない。むしろ限られた友人と仲良くしていただけだったと思う。そんな私なのにこんなふうに誘ってもらえて一緒に楽しく過ごせたのは同期の刻印のおかげなのである。
そういえば前に病院で見たことがある。総回診の大名行列の先頭を堂々と歩く大学教授にしがないおじさんがタメ口で話しかけていた。なんと恐れ多い、と思ったが教授も笑顔で返している。そう、その2人は大学の同期だったのだ。方や医局の大所帯を束ねる教授、方や地元の病院で働く一介の町医者。人生色々、それでも同期であることは変わらない。不思議だ、中にはこの業界を離れた者だっているがそれでも会えばきっと懐かしい同期に違いない。今の職場でもきっとそうだ。職種や年齢を越えて、私は何度も同期に助けられている。あるいはかつて研修した久里浜アルコール症センターの患者たちもそうだった。たまたま同じ週に入院した者が同期生となり、退院するまでともに依存症の克服に挑んでいた。年齢や肩書きを越えた絆がそこにはあるのだ。
たまたま同じ時に門をくぐった、ただそれだけの最強部隊…それが同期。みなさんにだってきっといるはずだ。いつも一緒にいるわけじゃない。もう二度と会えないのかもしれない。社会的に成功する者もいれば失敗する者もいるだろう。長生きする者もいれば病に倒れる者もいるだろう。それでも勝ち組とか負け組とかじゃなく、私たちはみんな同期の桜組だ。
(文:福場将太 写真:美唄メンタルアルピニスト)