コラム

2011年04月『日常のオアシス』

 砂漠の旅人にとって、オアシスは疲れを癒し命をつなぐ憩いの場だ。私たちの日常にも、きっと心を潤すためのそれぞれのオアシスがある。私たちは時々そこに立ち寄りながら、元気をたくわえまた歩き出す。そんなことを繰り返しながら旅は続いていく。
 私にとっての日常のオアシスはどんな場所だろうか。どんな時間だろうか。
 例えばそれは家で好きな料理を食べながら好きな映画のビデオを観ている時間、部屋の電気を消して昔好きだった歌手のレコードを聴いている時間、ギターを弾いている時間などはきっと私にとって心を潤すオアシスだ。翌日クリニックで流すためのMDを明け方まで編集している時間も、なんて愚かなと思いながらも私には必要な憩いなのだ。

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 私の古い友人にも大学に残り研究を続けている人物がいる。彼いわく研究者で一生やっていくのはかなり大変なことで。彼の同級生も99パーセントは企業などに就職している。彼は大学に残り昼も夜もなく研究室とアパートを往復する日々を続けている。・・・長い旅だ。

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 そんな彼と時々電話で話すのが私はとても楽しい。お互い明日も仕事だというのについつい遅くまで話し込んでしまう。そしてそんな彼の心を潤すオアシスをいくつか聞いた。彼は学生時代からカメラが好きだった。その趣味は今でも続いており、彼は時々研究の終わった後の深夜にカメラをかついでバイクで出掛ける。流星群を撮影したり、最近では桜を撮影したり。夜の闇に1人たたずむ謎のカメラマン。どこに発表するでもなくそれでもなお技術を高めながら彼は撮影を続けている。「自分でも何やってんだと思う」と笑いながらも、彼はカメラの話を楽しそうにする。きっと彼にとっての日常のオアシスがそこにあるからなのだろう。時間を見つけて夜中でも写真撮影にでかける・・・彼にとってなくてはならない時間なのだろう。

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 幸せすぎて怖いなんて夢のような時間はめったにはない。それでも小さなオアシスに立ち寄りながらであればきっと長い旅だって人は続けられる。  さて皆さん、次のオアシスまでもうひと頑張りしましょうか。

(文:福場将太 写真:瀬山夏彦)

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