コラム

2010年10月『となりの三尺』

10月ももうすぐ終わる。北海道の短い秋はもう冬へと傾き始めている。何かとせわしない日々の中で、ふとあの先生のことを思い出すことがある。そう、あの先生が美唄を去ったのもこんな秋の弱い日差しの午後だった。
何だろう…あたたかいというのかやわらかいというのか、あの先生が作り出す空気はいつもとても心地いい。優しい瞳はとても深く、おどけた冗談はどんな張り詰めた雰囲気も和ませてくれる。先生の口癖は「よかよか」、その言葉の前ではどんな怒りも悲しみも、その居場所を失ってしまう。

先生との出会いは昨年の夏。医師不足となった美唄病院と美唄メンタルクリニックのために、先生は遠くから来て下さった。今から思えば随分無理なお願いばかりしてしまったように思う。空席となった病院長をお願いしたり、委員会の委員長をお願いしたり、入院治療に外来治療、当直まで…僕からすれば40年以上先輩の大ベテランで超大物、それなのに先生は威張ることも偉ぶることもなく、笑顔で「よかよか」と引き受けてくれた。先生がいなければ、今この病院はなかったことは間違いない。
まいった…。大きい…。
全然敵わないや。医者としてはもちろん、器が…完全に完敗です。しょうもないプライドを振りかざして次元の低い争いに明け暮れている自分は何て小さいんだろう。

美唄病院、美唄メンタルクリニックにそれぞれ新しい院長が着任するのを見届けて先生はその職を辞した。最後の出勤日、集まった職員たちに先生がしてくれたお話は。「となりの三尺」である。自分の家の前だけをホウキではくのではなく、ほんの三尺だけでもおとなりさんのところもはく気持ち…そんな心で団結すればこの病院は大丈夫ですと先生は言って下さった。
先生、本当にその通りですよね。先生は美唄を離れる最後の瞬間までこの病院のことを思い、最も必要な心を教えて下さった。「これは私の仕事じゃない。勝手に余計なことするな」なんてついついぶつかり合っちゃうけど、となりの三尺…お互いがそんな気持ちでいられたら、どんなに素敵だろう。

イメージ先生、あなたと過ごした4ヶ月は、教わることだらけの心洗われる時間でした。一緒に働くことができて本当に幸せでした。今頃はお孫さんとのんびり遊んでおられるのでしょうか。となりの三尺どころか3キロメートルくらいはいてしまう先生の器にどれだけ近づけるかわかりませんが、今度お会いする時までに、一尺でも広い心を持てるように頑張ります。そして、先生が守ってくれた病院がもっともっと生まれ変わって、九州まで噂が届くように励んでいきたいと思います。
本当にありがとうございました!

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