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コラム
2009年11月『仮面の告白』
どんな病気でも、まずはそれを認めることが治療の第一歩である。しかしながら、自分が病気であることを受け入れるのは簡単なことではない。それが一生抱えていかなければならない病気であればなおさらだ。そして、受け入れることが出来たとしても、それを周囲の人間に打ち明けることはさらに難しい。
生まれながらの病気、突然抱えることになる病気、年齢を重ねて出現する病気、ゆっくりと時間をかけて進行する病気……この世界には数え切れない病気があり、その症状も大変さも様々だ。受け入れることも、伝えることも、いつもとても難しい。
まず誰だって、自分が病気だなんて思いたくない。例え医者に何と説明されても、どんな検査データを並べられても、認めたくない……人間ならそれが当たり前だ。しかし、どんなに否定しても症状は現実として存在する。いつかは受け入れることが、前に進むために必要になる。
そしてその次は家族、身近な人など隠しきれない人達に病気のことを伝えなくてはならない。もちろん心配をかけたくなくて身近だからこそ内緒にしたい、という気持ちもある。そんな気遣いや強がりも人間のいいところだと思う。しかし、やっぱり人間は1人では生きていけない。ドラマならば1人で耐えているところを視聴者が見てくれるから救われるが、現実世界では自分の痛みや孤独を一生自分だけで抱えこめるほど人間は強くない。身近な人達にはわかっていてほしい……それも人間の当たり前の気持ちだ。
身近な人達に打ち明けた後、さらに難しいのは今まで一緒に過ごしてきた仲間達に病気を伝えることだろう。病気を抱える前の姿を知っている仲間達に、病気になったことを伝えるのには大きな勇気がいる。今までのようにはいかないことを伝えるのは悲しい。伝えた後のみんなの反応がどうであれ、どこかで気を遣わせてしまうことはせつない。
こうやって考えてみると、病気の告白というのは本当にその力加減が難しいなぁと思う。伝えることによってきっといいことがある。わかってもらえたり、助けてもらえたり、誤解が解けたり……余計なゴタゴタをせずにすむ。でも、打ち明けたらもうその前の関係には二度と戻れない。プライドというものもあるし、力を貸してもらえることは有り難いけど情けない、嬉しいけど心苦しい。「ごめんね」も「ありがとう」も言わないと伝わらないし、言い過ぎると嘘っぽい。病気は誰のせいでもないんだから、力を借りるのは恥ずかしいことではないが、あまりあつかましくなってもいけない。病気を隠さず堂々とするのは立派だが、あまり声高に主張するのは格好悪い。
……難しい。本当に力加減が難しい。そして、どんなふうに伝えてみても、きっと全部は伝わらない。出来ないんだけど、完全に出来ないわけでもない。出来るんだけど、完全に出来るわけでもない。そのもどかしさは、きっと同じ病気を持つ人同士しかわからないものだろう。
そして、忘れてはならないことは、病気の告白を受ける側も難しいということだ。よく医療者は「大変ですね」「辛いでしょう」「気持ちはわかりますが」なんて安易に言ってしまうが、それが相手を傷つけてしまうこともある。「あんたにわかるわけないだろ!」と。
わかってあげたい気持ちはあっても、あんまりわかったような顔をしすぎるのもよくない。力を貸したいけど、貸しすぎるのも失礼。病気のことなど気にしないで接そうと努めても、あまりに無神経な言動は相手を傷つけてしまう。こちらも力加減がとても難しい。
100点満点はない。お互いに気を遣ったり遣われたり、傷つけたり傷ついたりしながら学んでいくしかない。
耳の病気のせいで、クラクションが聞こえずにドライバーに怒られる人がいる。目の病気のせいで人が並んでいる列に横入りしてしまい怒られる人がいる。心の病気のせいで仕事のミスが増えて怒られる人がいる。そんな時、病気であることを説明する方も、病気だと知らずに怒ってしまった方もどちらも心が痛いだろう。
病気の告白、その伝え方と受け取り方、その力加減の難しさともどかしさ……。誰もが人間として勉強していかなくてはいけないことだ。
全てを伝えることは出来なくても。全てを受け取ることは出来なくても。相手を思いやることが出来れば、心はきっと寄り添える。幸せを感じられる瞬間はきっと来る。
「ごめんね、いつも迷惑かけて」
……こっちこそ、力不足でごめんね。
「何か私に出来ることないかなあ?」
……ありがとう。ないんだけど、嬉しいよ。