コラム

2009年7月『砂上の楼閣』

 人生において勝負する時は3度ある、という言葉を聞いたことがある。人間は誰でも自分の人生に大きな影響を与える決断をしなくてはならない時が3回はある、ということだろうか。まあ順当に行けば進学・就職・結婚などが人生の大きな分岐点なのであろうが、時としてそれはある日突然やってくる。よく言えばチャンス、悪く言えばピンチ。いつまでも安住の地でのんびりさせてくれるほど神様は優しくなく、多くの犠牲の上に切り拓かれた新時代にもやがてまた動乱が起こる……それが世の常なのである。

 さてさて、まあそんな哲学めいた話はさておき、今回はそんな人生の進路選択について考えてみよう。みなさんは今まで何を指針に自分の道を選んできたのだろうか。周囲の人たちの動き、統計学的データ、一般論、損得勘定、時には勘やフィーリングだって大事な根拠だったりする。しかし場合によってはじっくり考える時間もなければ情報もない、勘も働かないけど道を選ばなければいけない非常事態もある。そんな時、人は何を指針にすればいいのだろう。信念、責任感、友情、愛情、義理、野心、敵意、不安、疑惑……選択を惑わせる心は無数にある。
 普段一緒に仕事をしているみんなでも、働いている理由はそれぞれ、抱えている事情はそれぞれ、歩んできた道も向かっていく場所もそれぞれだ。誰かにとっての正解が他の人にもそうであるとは絶対に限らない。だからだろうか……非常事態においては、人間はそれぞれ思い思いの行動をする。その人の強さや弱さ、優しさやずるさが浮き彫りになる。

 そんなことを考えている時にふと頭に浮かぶ映画がある。そう、あの『タイタニック』だ。1912年4月14日の深夜に沈んだ悲劇の豪華客船を舞台としたこの映画には、非常事態の渦中にいる人々が描かれている。ジェームズ・キャメロン監督は、入念な調査と取材をした上で、多くの史実を交えて沈みゆく船における様々な人間模様を描き出した。
 すぐに情報をもらい悠々と空席だらけの救助船で脱出する1等客たち、船舶会社の責任者でありながら乗客を見捨てあっさり救助船に乗り込む者、沈没の事実をなかなか知らされず暴動を起こす3等客たち、心を鬼にして救助船に乗せる客を采配する船員、混乱の中拳銃を発砲してしまう者、絶望の中神に祈る者、運命を受け入れ子供を抱いてベッドに横になる婦人、金や嘘で救助船に乗ろうとする者、責任を感じ船と運命をともにする船長、最後まで生きることをあきらめない青年ジャック、一度は救助船に乗ったがただひとつの愛のために船に戻る主人公ローズ……。
 誰が正しいとか間違っているとかはもはやわからない。清くありたいと願い死んでいくのも人間、生き延びるためならどんなえげつないことでもするのもまた人間の姿なのだから。実際にわれ先に脱出した責任者は世間から多くの批判を浴び、その後の人生を孤独に過ごしたという。また沈没するその時まで船に残り救助信号を送り続けた船員は、帰らぬ人となったが多くの人たちから賞讃され感謝されたという。そのどちらの生き方が正しいかなんて誰にも言えない。
 フェアプレイ……それが美しいのはスポーツやゲームの中だけなのかもしれない。

イメージ 映画では船医たちの姿はあまり描かれていないが……どうだったんだろう。私自身医療者だから、出来ることなら患者さんや昔の自分に対して後ろめたい生き方はしたくない。でも、非常事態の中でまで医療者として誇り高く行動できるかというと……そうなってみないとわからないというのが正直なところ。つくづく凡人だなぁ。

 いつ足元から崩れだすかわからない不安定な時代だ。人生の非常事態においてはどれが沈没船でどれが救助船なのかは乗ってみないとわからない。しかし、そんな中自分を見失わなかったからこそ、ローズは人生の意味を変えることができたのだ。

 私はどうだろう。私に何ができるだろう。
 う〜ん、そうだなあ……。理想を言うのなら、沈むタイタニックの上で少しでもみんなの心を和ませるために演奏を続けたという楽団……精神医療者としてあんなふうであれたらと思ったりする。

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