コラム

2018年6月「いとしのマイホーム ~続編in北海道~」

いとしのマイホーム

 先月引越しをした。広島→東京→北海道と移り住んでいる自分ではあるが、引越しの経験自体は少ない。人生で賞味四回目といったところか。しかも今回は同じ建物の隣室に移るだけという極めて近距離の引越し。というのも大家さんが各部屋の改装という壮大なプロジェクトに乗り出し、空室で先に改装の終わった隣室に移ってほしいとまあこういうわけである。綺麗な部屋に住めること自体は嬉しく気持ちの良いことだが、隣室とはいえ荷物を移動するというのはやはり骨。しかも隣室なだけに引越し業者を呼ぶわけにもいかず、かくしてゴールデンウイークはその作業に追われることとなった。
 まあこんな機会でもなければ荷物を整理するなんてこともないし、しかも整理する作業が意外と好きだったりするので骨ではあるが苦ではなかった。

 現在我が家にある家具や家電のほとんどは東京時代から連れ添っている物だ。中には広島時代からの物まである。だから組み立て式の棚などはネジやビスが緩んでいたりもするわけで、それをしめ直す作業はなんだかギターのチューニングのようで心地良い。変わらず暮らしているつもりでも、やはり音は少しずつずれているものだ。僕らが健康診断で気を引き締めるように、家にも時々ケアをしなくてはならない。
 また収納をあさっていると懐かしい手紙や過去の遺物がごっそり出てくる。特に中学生の頃に作った曲の歌詞や録音テープなんぞは気恥ずかしくてまともに向き合えたものではない。ただ二十五年前の自分がそこにいたという確かな証明ではあり、その浅はかで愚かな当時の感性がうらやましくもある。やはりその時にしか着想・発想できないものがあるのだ。人生、一分たりとも無駄にしてはならない…なんて物思いにふけっていたら作業は全く進まないわけで、心のタイムトラベルはそこそこに過去の遺物をダンボールに放り込んでいった。

 そんな感じで整備した物や箱詰めした物から順に隣室へと運んでいく。移動先は僅か壁一枚隔てた向こう側。ドラえもんに通り抜けフープを出してもらえたらどんなに楽だろうと何度も思った。
 また新しい部屋は基本は同じ間取りだが左右が逆転している。靴箱もトイレも流し台も、今まで右にあった物は左に、左にあった物は右にある。これはこれで不思議な感覚。まるでドラえもんに入り込みミラーを出してもらって鏡の中の世界に入ったようであった。

 そんなこんなで新居に移って一ヶ月。もともと住んでいた隣の部屋からは改装の工事の音が華々しく響いている。世の中には引っ越しが趣味という人もいるが自分としてはやっぱり時々でいい。住み慣れた部屋を去るというのは淋しい。しかし変化は世の常であるから永遠に居座るわけにもいかない。腰が重い性分なので、自分としては今回の幾分強引なきっかけは有難かった。

 思えば人生で一番大きな引っ越しは何と言っても病院の移転だろう。このクリニックも一度移転しているし、さらに江別すずらん病院は美唄の山奥から高砂の駅前へと市をまたいでの大移動を遂げた。当たり前のように経っていた物が消え、なかった物が今は当たり前のようにそこにある。まさに諸行無常。
 クリニックが移転した時、病院が移転した時…あの時の感性をどれだけ持ち続けていられるだろう。

(文:福場将太 写真:カヤコレ)

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