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コラム
2016年12月「ボツ原稿大掃除」
毎月コラムを書くのが習慣になってもうどれくらい経つだろう。忙しい時に暇な時、コンディションが良い時に悪い時…とこれまでにも色々あったとは思うが、とりあえず書き続けられている。別にこれは仕事ではないのですっぽかしたからといって誰かに文句を言われるわけではないが、いつしか僕にとっては自分の心を安定させる上で不可欠な作業になっている。迷った時などに過去のコラムを読み返したりするとそこに答えが見つかったりするのだ。 そんなわけで書くことは僕のライフワークの一つなのだけれど、もちろん書いた物の全てが採用されるわけではない。書いてはみたが諸事情で結局使わなかった原稿 というのもそれなりにある。それはストックとして残されリサイクルされることもあれば、そのまま闇に葬られることもある。 今月はどうも新しいコラムを書く気になれない。そんなわけで今回はちょっと楽をしてボツ原稿の再利用をしてみよう。パソコン内の大掃除をして発掘された一編、これは某業界誌向けに書いたものだ。少しだけ手直ししながらここに掲載させて頂こう。
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「10年目の感謝」
北海道美唄の地にメンタルクリニックを開院して現在10年目。その歳月は病院にとってはもちろん、そのまま私にとっても学びの時間だったように思う。今強く感じること…それは、精神科医療はあまりにも多様ということだ。
私は美唄を本拠地に仕事をしているが、近年は江別や札幌でも時々診療の機会を与えてもらっている。端的に言えば美唄→江別→札幌の順に都会になっていくわけだが、それぞれ全く別文化。同じ心の医療のはずなのに、まるでBACK TO THE FUTURE三部作で時空を旅しているかのごとく世界が違うことに驚かされる。私の乗るタクシーはデロリアンか?
例えば来院する患者の年齢層や疾患比率が異なるのはまあ当然として、その悩みの内容にもお土地柄は大きく反映される。ご近所間でのおすそ分けや井戸端会議が日常の美唄では、その密接さにストレスを感じてしまう人がいる。逆に隣人の顔さえ知らない札幌では、その希薄さに孤独を感じてしまう人がいる。あるいは札幌では生活に支障をきたす大きな問題でも、美唄では個性として受け入れられていたりする。かと思えば札幌では許される生き方でも美唄ではそうもいかないこともあるのだ。
美唄でタクシーに乗れば運転手さんが「先生この前あそこの道を歩いてたでしょ。一緒にいたの誰?」。ストーブの修理を呼べば業者さんが「先生、いつもうちのが職場でお世話になってます」。ラーメンを注文すれば出前持ちが「最近うちの犬が元気ないんですけどなんとかなりませんかねえ」。患者同士に職員同士、道行く人から動物たちまで至る所に関係者や目撃者がいる。う~ん…有り難いようなやり難いような。ただ一つ確かなのは、毎年大家さんからあんなに大量のエダマメをもらっても一人で食べ切れるはずがないということだ。
ちなみに近年設けられた『同一建物内で複数件の訪問看護を行なった場合は減額』という診療報酬の規定も、小さいアパートが多い美唄ではいささか難物。医療費が変わる理由を患者に説明すれば、隣人も患者であるという個人情報が一発で漏えいしてしまうのである。
他にも地域差を感じるものとしては、精神科医療に対する認識の違いがある。今や札幌ではメンタルクリニックがいくつも存在し、文字通りコンビニのようにドクターショッピングしている患者もいると聞く。対照的に開院時当院は美唄唯一のメンタルクリニック。看板を見てクリーニング屋と間違えて洗濯物を持ってくる人がいたのだから、どれだけ心の病院が町に浸透していなかったかがわかる。
病院の数が少ないということはそれだけ町に対して大きな役割を担えるということではあるが、医療上も経営上もライバルがいない分、スタッフが努力をしなくなるリスクがある。他院のスタッフと合同勉強会や症例検討会が行なえないのも寂しい。また未だに偏見の多い精神科医療、町に一つの病院が正しい価値観を提供せねば地域社会全体が誤った理解をしてしまうことだってある。
そして精神科医療では市役所・学校・警察・保健センターなどとの関わりが不可欠だが、地域によりこの連携の形も様々だ。やけに腰が重い部分も、驚くほどスムーズな部分も、町によって特徴がある。
加えて患者を支援する上で必要な資源の数にも地域差が大きい。これは飲食店やレジャー施設同様、どうしても都会の方が充実している。支援の選択肢が少ないことは、人材確保の困難さと並んで地域医療における切実な課題であろう。
まあそんなこんなでお土地柄にかなり影響されるわけだが、それ以前に病院によって大きく異なるのが精神科医療だ。心と言う形のない物を相手にする医療はその治療行為にも形がない。精神療法・訪問看護・デイケアなどは当院でも治療の三本柱であるが、いずれも機具を用いるわけでも痕跡が残るわけでもない。確かにやりました、これが治療ですとカルテに記載すればそれ以上のものはない。頑張っても手を抜いても同じ報酬なら楽にやってしまえ、それより薬物療法で診察を短時間にしてたくさんの患者を診た方が効率的…なんてことにもなりかねない。実際に綺麗事だけでは病院は生き残れない時代。良い医療をすればするほど経営が悪化してしまうパラドックスが、この業界には潜んでいるのだ。
とはいえ学会などに赴けば、より良い治療を追究している心の医療者たちが日本中にいることがわかって安心する。経営うんぬんとほざいていた自分が恥ずかしくなるほど、高い理想を掲げて頑張っている仲間たちがいる。そう、形のない医療だからこそ、どこまでも上が目指せるのだ。いくらでも突き詰めていけるのだ。
時間も手間もかけて質の高いサービスを提供している…ぜひそんな病院こそが生き残っていける世の中に、もとい診療報酬になって頂きたい。
かなり気ままに書いてきたがそろそろまとめに入ろう。くり返すが精神科医療はあまりにも多様だ。お土地柄によって、病院によって、そして精神科医一人一人によってもそのやり方は違う。私のまだ浅い経験の中でも、全く対極的な理論・技法や信念に何度も出会った。「ちょっと考え方が違う」程度の話ではない。真逆の考え方を持った専門家がゴロゴロ存在するのだ。
悪く言えば何でもあり。しかしこれこそが心の医療の奥深さであり、最大の魅力だと私は思っている。
そんな中見つけた一つの答えがある。かつて私は患者やその家族に感謝されているなら、治療はうまくいっていると思っていた。しかしそうでない場合もある。
患者に感謝してもらえるからといって何でもしてあげていたら、それが患者の回復を妨げてしまうことがある。家族や地域に喜んでもらえるからといって何でも応えていたら、それが患者の人生をないがしろにしてしまうことがある。
では治療がうまくいっている指標はどこにあるのか?身勝手かもしれないが、それは自分の心の中に患者や家族への感謝の気持ちが生まれている時ではないかと思う。
『自分が相手に感謝されることより、自分が相手に感謝できる医療を』…これが10年目の今、辿り着いている当院の理念である。きっと…まだまだ55点くらいの答えだろう。
さてさてさらに10年後、自分がどんな心になっているかを楽しみにしたい。やっぱり今年もエダマメ待ってます。
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今年の1月に書いた原稿だけど、改めて読み返すとなんだか詰め込み過ぎな印象。『美唄すずらんクリニック』と『江別すずらん病院』と『札幌なかまの杜クリニック』の心の医療の違いなんぞを表現したかったんだろうと思うけど力及ばず。しかしまあ自分の心を読み返すというのは不思議なもので、理由はわからないが気付けば笑顔になっている自分がいた。自分で自分に元気をもらってりゃ世話ないが、まあこの原稿はそれだけでも役に立ってよかった。
そんなわけで2016年ももうじき終わり。家の中も心の中も大掃除して来年また元気に生きたいものだ。
(文:福場将太 写真:カヤコレ)