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コラム
2016年10月「未来からのエール 〜10 YEARS LATER〜」
10月を無事迎えられるとほっとする。毎年7月から9月までの三ヶ月は最もスケジュールが過密するからだ。通常業務に加え看護学校での講義、サイコオンコロジー学会への参加、そして勝手に恒例にしている小説の執筆も重なる。今年度はさらに札幌なかまの杜クリニックへの出向や美唄すずらんクリニックの新プロジェクト、旧友との食事会も重なったので忙しさは過去最大級を極めた。いずれも好きでやっていることなのでもちろん苦ではない。そしてたくさんの人たちの協力のおかげで成り立っているので、みなさんに心からありがとうと言わなければならない。
とはいえやっぱり無理は禁物で、10月2日の日曜日はほぼ一日泥のように眠っていたから想像以上に疲れていたらしい。心地よい疲労ではあったが、健康のためには来年はもう少しスケジュールの工夫が必要である。
そんなわけで10月だ。私が現在の法人に着任したのが2006年の10月1日だったから満10年が経過したことになる。
まさかこんなに続けられるとは思っていませんでした…なんてありきたりなコメントはしない。だって続けると思っていたから。一度やると決めたことはやめない、その分決断までに時間がかかるけど始めたことはいつまでもやってしまう…それが自分の性格上の利点であり欠点であることを私は若い頃から知っていた。だから10年前に北海道に行くと決めた時も、物理的に継続不能にならない限り10年後もきっとそのまま働いているだろうと予測していた。よって私にとっては何ら意外ではなく、むしろ予想どおりで面白味に欠ける現在なのである。
何だか自負している感じだが、自分としてはむしろ自嘲だ。一途に貫くと言えば聞こえは良いが、裏を返せば繋がれた物に囚われ新しい道に踏み出す度胸がないとも言える。残るのも勇気・去るのも勇気なら、私は間違いなく前者を選んでしまう人間なのだ。
実際にこの10年の間にも何度か路線変更するタイミングはあった。しかし全てをやり過ごして私は今もここにいる。もちろん貫いたことで手にした物もたくさんあるからけして悔やんでいるわけではないし満足もしている。まあ人間は一度の人生を生きることしかできないから、きっとどんな生き方をしてみても「もしあそこでこうしていたら」と思ってしまう生き物なのだろうけど。
今回はそんな話をしてみたい。
10年前の春、進路に迷っていた私は東京にいた。総合メディカルという会社を訪ねいくつかの就職先の情報をもらい、その中の一つが当時美唄のあの丘にあった病院だった。見学をさせてもらったあの夏の日を今も鮮やかに憶えている。青い空に近い緑の丘に立つ白い病院。景色も医療も私の知っている新宿の大学病院とはまるで違っていた。そして街には開院に向けて準備中のクリニックもあった。
見学を終え東京に戻った私はやがて北海道行きを決めた。周囲にはとりあえず行ってみると話していたが、例の性格からどうせ数年で帰るなんてことはないだろうと心では思っていた。
まあ言ってしまえば就職先を決めただけなのでたいした英断でもないのだけど、この選択は私の人生の中では勇気を出した部類に入るだろう。
北海道には親戚も知り合いもいない。対して東京には母校の大学病院もあれば学友もいる、恩師もいる、住み慣れた街もある。そこにすがって生きていくこともできたかもしれない。でもそのままそこにいては叶わない願いがあった。失ってしまう物もあった。前向きな理由だけではなかったが、私は東京ではなく北海道で未来を探すことに決めたのだ。
あれから10年。果たして決断は正しかっただろうか?北海道に来てからの日々は思っていたよりも平坦なものではなかった。波乱万丈…と言うほどたいそれた人生ではないが、それでも公的にも私的にも少なからずの激動だった。入職時に迎えてくれた理事長も院長ももういない。当時の約束などなかったも同然だ。やがて法人名も変わり、あの丘の上の病院もなくなり江別に移転、スタッフの顔ぶれも変わっていった。まさに諸行無常。同じ職場で貫いているとはいえ、かなりの変化が起きた。
でも考えてみればこれが当たり前、世の中では変化が起こらずずっと同じ方がむしろ奇跡なのである。街も変わる、人も変わる、建物も変わる。出会いがあれば別れがあり、寄り添う心もあれば離れる心もあるのだ。
本来はこんな感傷に浸りながら満10年を迎えたかった。まあ考え過ぎも私の悪癖なので、むしろ気が付いたら10月だったというこれでよかった気もするが。
9月30日夜、私は江別すずらん病院の医局で残って書類作業をしていた。6時を過ぎた頃、一人の事務員が訪ねてくる。彼は私の入植前からおり、業務上だけでなく日常でも何かと助けてくれる存在。10年間、少なくとも生活面においては彼がいてくれたから私は北海道で暮らせたのである。
彼に誘われ江別の街で夕食を摂る。特に意識したわけではなかったが、そこでも少し勇気についての話題になった。ずっと美唄で働こうと思っていた彼にとって、病院が移転し生活環境を変えたことは大きな決断だったという。その勇気の詳細を彼は明言しなかったが、もしかしたら東京を去った時の私に少し似ていたのかもしれない。
スープカレーを堪能し私は医局に戻り残業を続行。10時を過ぎた頃、今度は一人のPSWが医局に現れる。書類ボックスに書類を入れるためだ。彼女もまた私の入植前からいる人物。少しだけ言葉を交わしたが、今夜も残って仕事を片付けていたという。遅くまで大変ですね、体は大切にしてくださいよと伝えるが彼女は「まだ大丈夫」としか言わない。この十年で彼女にもきっとたくさんの変化があったのだろうけど、そんな相変わらずな言動になんだかほっとした。
愛すべき同僚たちに少し元気をもらいながら私は残業を続けた。そして記念すべき10月1日はそのまま医局のデスクで迎えてしまった。帰りのタクシーでは運転手さんの娘が看護師であることを聞き、しかも私が現在講義をしている看護学校の出身とのこと。
孤独に負けそうな日もあるけど、こんなふうに人との繋がりをたくさん感じる夜もある。睡眠時間は短かったが、10月1日朝は新しいジャケットと靴でクリニックに出勤した私であった。
誰もがたくさんの物に繋がれて生きている。家族に友人に恋人に、仕事に肩書きに責任に、喜びに悲しみに淋しさに、怒りに妬みに憎しみに、過去に病に憧れに。それらは自分を縛り付ける鎖でもあり、時には支えてくれる命綱でもある。
そんなたくさんの繋がりは確かに必要なものだ。それがなくなってしまうと思うと不安でたまらない。でも未来に一歩踏み出すためにはそれらを断ち切らなくてはいけない時もある。自分から手放さなくてはいけない時もある。人間が母親と自分を繋ぐ臍の緒を断ち切ってこの世に生まれてくるように、新しい人生に向かうには繋がれたままでは進めない時があるのだ。
偉そうに言える人生経験ではないけれど、今あなたが勇気が出ずにいるのなら、断ち切ることをけしてマイナスにだけ捉えないでほしい。一度断ち切ってみて初めて進める道がある、見える風景がある、わかる心がある。そして一度断ち切ったからといってもう二度と繋がれないとも限らない。時が流れてまたたぐり寄る絆もあるのだ。
人間はどうしても過去と現在しか見ることができない。生きてきた過去と今生きている現在だけを見て、自分の人生を判断してしまいがちだ。でも忘れてはいけない。誰もがまだ道のりの途中であることを。人生の最中であることを。道のりの先を生きている自分もいるのだということを。
手紙を書き残せば10年後の自分に今の自分からメッセージを送ることはできる。でも残念ながらその逆はできない。もしもそれができるなら、私だって10年前の自分に踏み出していいと伝えてあげたい。東京を去って北海道に行っても大丈夫だよとエールを贈りたい。
未来を見ることはできないけれど、想像することはできる。勇気が出ずにいる人は、ぜひ想像の翼を広げてみよう。もしかしたら10年後の自分はとっても幸せに笑っているのかもしれない。充実した日々を送っているのかもしれない。そのことを過去の自分に伝えたくてうずうずしているのかもしれない。
ほら、未来の自分に語りかけてみよう。
「お元気ですか?お変わりありませんか?今私が踏み出そうとしている道はこれで大丈夫ですか?」
そして未来の自分からのエールに耳を澄ませてみてほしい。
「間違ってないよ、踏み出して大丈夫だよ」
過去と現在だけが人生じゃない。未来も含めてあなたの人生だ。例えば今が辛くても、未来はお釣りがくるくらい楽しいかもしれない。今がこんなに大変なのは、未来が幸福だから先にバチが当たっているのかもしれないのだ。
私の人生にだってきっとそのうちまた決断を迫られる時がくる。それまでに勇気を胸いっぱい蓄えておきたい。
(文:福場将太 写真:カヤコレ)