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コラム
2015年10月「CHANGE!」
この度開院10年目を一つの節目として、当院は『美唄メンタルクリニック』から『美唄すずらんクリニック』に改名した。長年親しんだ名前に別れを告げるのにはもちろん寂しい気持ちもあるが、これからのために必要な変化だったと感じている。医療の世界だけではない、あらゆる分野において、そしてあらゆる人の人生において、変わるべきか変わらざるべきかは大きなテーマである。今回はそんな『変化』について考えてみたい。
先月はいくつかの偶然も手伝って北海道や広島で何人かの旧友と再会できた。そうすると「変わったね」「変わらないね」なんて言葉が交わされたりするのだが、私個人としては後者の言葉を言われる方が多い。そしてその方が嬉しいと感じてしまう性格だ。できるなら変わらずにいたい、このままでいたい、過去の自分を否定するような生き方はしたくない…と思ってしまう。でも裏を返せば変化する勇気がない臆病者だということもわかっている。
人は変化を恐れる。例え今がそれほど満たされた状況ではなかったとしても、それでも変わることには強い抵抗を感じてしまうものだ。心の医療においても、この「変化することへの恐怖」は多くの場面で患者の回復を妨げている。例えば自宅に引きこもってしまう人、孤独が好きなわけじゃないし外に出たくないわけじゃない…それでも一歩が踏み出せない。変化にはそれだけ膨大な勇気とエネルギーが必要だということだ。
最近一つの法案の成立が激しく議論されたが、多くの抵抗が生じた背景には少なからず「変化することへの恐怖」があったのではないかと私は感じた。
では変化は必ずしなくてはいけないものなのか?変化しないことは許されないのか?
これについても個々人の考えがあるとは思うが、この世に時間というものが存在している限り、事実として変化を回避するのは難しい。いくら自分たちはこのままでいいと願っても、周囲が変化すればそれは我儘にもなりうる。
組織でもまさしくそうだ。仮にベストメンバーが揃ったとしても、それが五年後もベストメンバーとは限らない。自分たちは変わらずにベストを維持できたとしても、自分たちを取り囲む環境は必ず変わってしまうからだ。どこの組織でも必ずある、新メンバーと旧メンバーの衝突。そんな時つい「あの人が現れたからやりにくくなったんだ」「あの人が去るまではうまくいってたのに」なんて言ってしまうが、それは無茶な願いなのだ。出会いと別れは必然なのだから。
世界の歴史を振り返っても、変わらずにいられる国はない。新大陸発見は先住民にとっては侵略だ、という見方もある。もちろん人を傷つけてよいとは絶対に思わないが、「いつまでもこのままそっとしておいてください」という願いはかなり要求が過ぎると言わざる得ない。どれだけ鎖国しますと叫んでも、いつかは黒船がやって来るのだ。この地球にだっていつかは宇宙から進化した文明が押しかけてくるかもしれない。こちらの都合などお構いなしに。それでも変わらずにいたいのなら、そのための戦いをするしかないだろう。変化せずにいることにも、実は膨大な勇気とエネルギーが必要なのである。
随分乱暴で冷酷なことを書いているが、もちろん変化せずにいる物の大切さもわかっている。変わらない友情や変わらない町並みに私たちは癒され安心を感じる。多くの物が変わりゆくからこそ、変わらない物を私たちは求める。建物や自然を保存したり、記念品を保管したり、永遠の愛を誓ったり、幼い夢を追い続けたりする。それはそれでもちろん大切。心も組織も社会も変化していくものだからこそ、どこかに変わらない部分を残しておきたいものだ。
歳を重ねれば別れも増える、病気も増える。これは避けられない変化。変化が避けられないならば、いっそこれからは意識的にプラスの変化も自分に与えていきたい。毎年…は無理でも、せめて三年に一度くらいは新しい勉強や挑戦をしていけたらいいなと思う。
当法人の一つの魅力は変化し続けていること。人も組織も建物も、理事長は立ち止まらせてはくれない。痛みを伴いながらでも、動いていなければエネルギーは生じないことをきっと計算されているのだと思う。
今回のクリニック改名は、これからも恐れずちゃんと変化していく勇気の宣言である。もちろん名前だけ変化しても意味がない。根底には変わらぬ心臓をしっかり持って、いつかは周囲の環境をこっちから変えてやるぞってくらい夢を大きく持ちながら、歩き続けていきたいと思う。
(文:福場将太 写真:カヤコレ)