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コラム
2013年10月「学生諸君!」
実はこの3ヶ月とある学校で教壇に立たせてもらっていた。教える内容はもちろん精神科。学者でも研究者でもないただの臨床医の自分に教師が務まるのかいささかの不安もあったが、そういえば子供の頃の夢は学校の先生だったなあなんてことを思い出したりしてお引き受けすることにした。懐かしい教科書や医学書を引っ張り出したりして、改めて精神医療をおさらいしたわけだが…現場を経験した今読み返すとそこには当たり前だけど大切なことがたくさん書かれていることに気付く。精神医療に携わる者としての心得、患者と関わる時の基本…忘れているつもりはなかったが白衣を着るのが仕事になってから、見失っていたものがたくさんあったことを思い知らされた。そして今仕事で目の前に立ちふさがっている壁を乗り越える方法があっさりそこに書いてあることに驚かされた。そう考えると教科書って本当にすごい。このたった1冊の本が作られるためにどれだけの時間と努力がかけられていることだろう。たった一行の結論に辿りつくために何人の医療者の試行錯誤があっただろう。片隅に書かれた病名の裏にどれだけの患者の人生があっただろう。教科書に記された知識というのは、何百年・何千年の歴史の中で一滴ずつ貯蓄された人類の偉大な宝なのだ。
きっと自分の学生時代、先生が教壇で語ってくれていた言葉もその偉大な知識だったんだろうなあ…さぼったり眠ったりしていた自分が少し恨めしくなる。なんてもったいない…、いや確かに現場を知らないあの頃授業を受けても正直チンプンカンプンだったのは事実。だから今こそあの頃の授業を受けたいなあ、なんてちょっと不思議なノスタルジーを感じたりする。しかしそんなこと言ってる場合ではなく今度はこっちが教壇に立つ順番だ。そんなこんなで準備をして、授業をして、長いと思われた3ヶ月はあっという間に過ぎていった。どれだけのことが伝えられたのか、受け取ってもらえたのかはわからないが少しでも心の医療を知ってもらえたのなら嬉しい。
まあ学生だってきっと忙しい。小学校も私たちの世代と違って土日は休み、そのくせ詰め込まなくちゃいけない知識は私たちの頃よりきっと増えている。「教科書がこんなにたくさん入るランドセルができました」なんてコマーシャルがあるが、1日の勉強量がそれだけ増えたのかと思うとぞっとする。私は今回精神医療の授業をしたが、学生が勉強しているのは精神科だけではない。自分が医学生の時もそうだった。内科・外科・産婦人科といったいわゆる「メジャー科」と精神科など数々の「マイナー科」、それら全部を国家試験までに一通り頭に入れなければならなかった。しかも学生は勉強だけしていればいいわけではない。部活も恋も親孝行もしなくちゃいけない…本当に忙しいと思う。そう考えたら勉強に当てられる時間、しかも精神科に当てられる時間なんて本当にわずかだと思う。まあでもそれでいい、いつか精神科の患者さんと関わった時にほんの少しでも思い出してくれたらそれで十分だ。
義務教育の「生徒」と違って専門教育を学ぼうとする者は「学生」と呼ばれる。生徒ならたとえ成績に問題があっても学校側がなんとか支援して卒業まで背中を押してくれる。でも学生は勉強するもしないも本人次第、やる気がなければ置いていかれるし成績が届かなければ国家資格はおろか卒業証書だってもらえない。まあ自分で選んだ道ならばぜひ頑張っていただきたい。
もちろん教科書が全てではないよ。最近の若者は面接で何を話すかまでマニュアル本に頼ったり、バイトでもハンバーガー20個買いに来た客に対して「こちらでお召し上がりですか?」なんて尋ねたり、本当にマニュアル人間が多いと言われる。でも世の中はマニュアル通りにやればうまくいくほど簡単ではない。今学んでいる知識はあくまで原則であり思考を巡らすための基盤だ。それを忘れずに学んでほしい。エリートだインテリだと勉強にいそしむ人間を揶揄する風潮もあるが誤解のないように、人生において学歴はいらなくても学問は絶対に必要なんだよ。先人たちの知識は必ず人生を豊かにしてくれる。少なくとも医学はそうやって加筆されながら過去から未来へ受け継がれていく申し送りノートだと思うから。
それでは学生諸君、いつか一緒に働ける日を楽しみにしております。よい青春を!
(文:福場将太 写真:生涯精神科看護師)