コラム

2009年9月『世界一の放課後』

 早いもので9月です。夏の甲子園も終わり、季節は秋へと移り変わります。テレビをつければ気が滅入るようなニュースばかり、今の世の中いったいどうなってしまったんだろうなんて思ってしまいますが、高校球児たちの姿になんだかほっとするのです。夢のない時代だ、何を考えてるかわからない危険な世代だなんて言われますけど、熱い心を持った子供たちがちゃんといるじゃないかって。いや、きっとほとんどの子供たちはそうなんだろうなって。
 残念ながら我が母校には硬式野球部がなかったので甲子園に応援に行った経験はないのですが、我が母校にも負けないくらいホットなとびっきりのイベントがあります。毎年この時期になると蘇る記憶……そう、体育祭です。

 北海道はもう肌寒くなってきますが、本州はまだまだ残暑きびしく、各地で盛大に体育祭や運動会が行われます。はっきり言って自慢ですが我が母校の体育祭はそんじょそこらの体育祭とはわけが違います。とにもかくにも意気込みがすごい。なんたってその年の体育祭が終わった翌日からもう来年の体育祭に向けて準備が始まるんですから。
 生徒たちは各パートに分かれ、それぞれ計画を立てます。私の時代にあったパートは、マスゲーム、応援団、チアガール、やぐら、大道具、美術、衣装、差し入れなどです。マスゲームというのは運動場に描かれたマス目の上で数十人で様々な体技や陣形を見せる演舞、その内容から選曲まですべて生徒が決めます。応援団もチアガールも1年かけて内容を練り上げて練習します。やぐらというのは当日マスゲームが出陣する建物を考案・設計・製作します。校舎3階分くらいの高さがあるでっかいやぐらです。大道具はいわゆる山車を作ります。人が何人も乗れる山車です。美術はやぐらや大道具の塗装・装飾を行い、衣装はマスゲームに出演する人たちの服のデザイン・裁縫・仕立てを行い、差し入れは体育祭に向けて準備している各パートを回って飲み物などを提供してくれます。

 いやあこうやって書いててもついつい口元が綻んでしまいますね。ある意味うちの体育祭は競技よりもそういった見世物のほうがメインだったので、私のように運動音痴でも結構熱くなれるのです。
 ちなみに私のパートはやぐらでした。おもしろいデザインを探そうと歴史的建造物の本を読みあさったこと、方眼紙でミニチュアやぐらを作ってみたこと、方針をめぐって大喧嘩になったこと、夏休みは朝から晩まで泥まみれになってカナヅチやノコギリを握っていたこと、体育祭前夜はみんなでやぐらにこっそり泊まったこと、そしたら深夜に通り雨がきて慌ててビニールシートをかけたこと、当日あいにくの曇り空で色彩が映えなかったこと、そして閉会式の後みんなでやぐらを解体して燃やしたこと……全部鮮やかに憶えています。
 高校3年生の夏も、他の学校の友人は毎日塾に通う中、私はやぐらを組み上げていました。勉強は後で大変だったけど、本気でやってよかったと思っています。おかげで一生モノの財産がたくさんできました。

 今でも不思議です。どこからきてたんでしょう、あのエネルギーは。別にやらなきゃいけなかったわけじゃない、適当にやることだってできたし。やってらんねーよって街に繰り出しても、それはそれで楽しい青春だったのかもしれない。でも、祭りは1人じゃできません。たいそれた意味なんかなくても、履歴書に載らなくても、あの体育祭は私たち同級生の誇りなのです。
 そして今になって感じるのです。いいことばっかりじゃなかった、うまくいかなかったことも多いけどあの情熱はけして無駄ではなかったと。実際にとある友人はやぐら製作で興味を持って工学の道に進みました。設計がヤミツキになって大学では鳥人間コンテストに参加して優勝しちまったヤツもいます。
 高校球児だってみんながプロ野球選手になるわけじゃない。でもその後どんな進路に進むにしたって、今は無我夢中で白い球を追いかける……それでいいんじゃないでしょうか。将来役に立つことだけを選んで頑張るなんて器用さ、子供にはいらないですよね。何のためかわからなくても努力できる……それは子供たちの特権、青春はそれが許される時代。そして学校にはそのチャンスやきっかけがたくさん転がっているのです。

 もちろん学校が全てじゃありません。学校には馴染めない個性の持ち主だっています。だから、不登校の悩みには無理に学校に行かなくてもいいんだよと伝えるのがカウンセラーや精神科医のセオリーです。確かに勉強とか進学のことだけ考えれば学校にこだわらなくてもやる方法はあります。でも学校でしか手に入らないものもたくさんありますよね。もしかしたらそれは人生の意味を変えるものかもしれません。
 学校って無理に絶対行かなくちゃいけないものじゃないけど、簡単に行かなくてもいいよって言っちゃうのももったいない……学園大好き人間としてはついついそんなふうに思ってしまうのです。マスゲームの音楽、応援団やチアガールの掛け声、カナヅチを叩く音がBGMだったあの放課後が、愛しくてたまらないのです。

イメージ うちの職場にも学生時代はバスケに身を捧げ、未だに休日は試合に参加しているスポーツウーマンがいます。球場でファイターズに声援をおくる元野球部少女がいます。掲示物のデザインやネイルアートにこだわる元美術部員がいます。カラオケで美声を披露する元バンドマンがいます。私たちはいろんなものを卒業してきたはずですけど、なんだか……いつまでたっても放課後にいる感じですね。
 我が母校の後輩諸君は今年もやってるのでしょうか。変わらない情熱が燃えているのなら、とても嬉しいです。

 ちなみに今回のコラムのタイトル、高校の卒業アルバムのタイトルにと一押ししてあっさり落選したネタの使いまわし……そんなもんですよね。

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