コラム

2017年10月「別れの秋」

 「別れはいつもついてくる 幸せの後ろをついてくる」と歌った北海道のシンガーソングライターがいるけれど、別れは人生において逃れようのない宿命の一つである。僕たちは出会う。そしてまるで同じ電車に乗り合わせた乗客のように片時の空間と時間を共有し、やがてそれぞれの駅で降車しまた次の電車に乗り換えていく。どんなに一緒にいたいと望んでも、今のメンバーがベストだと願ってもそれは叶わず、結局この道の上に最初から最後までずっといるのは自分一人だけなのだと思い知らされる。
 子供の頃は別れについて楽観的だった。自分の周りにいる人たちはいつまでも変わらずそこにいると信じていたし、一度離れた人たちともまたそのうち会えると根拠もなく思っていた。この世に今生の別れなんてものがあることを実感したのは恥ずかしながら随分年齢を重ねてからだった。

 一時は別れと言う必然に空しさを感じたりもしたけれど、今は別れというものにそれほど臆してはいない。もちろん悲しいだけの別れもあるし、寂しくないと言えば嘘になる。でも別れが惜しまれるということは逆に考えれば一緒に過ごせた時間がそれだけ満たされたものだったということ、出会いという偶然を小さな奇跡に昇華できていたということ、限りある人生の中で価値ある時間を共有できたということの証明なのだ。そばにいても出会ったことをまるでなかったことのようにして生きるよりも、ずっとずっと素晴らしいことだろう。
 それにこうも思う。別れから始まる物語もあると。さよならした相手とまたいつかどこかで出会えるかもしれない。切れたかのように思われた運命の糸はもしかしたら細く長く繋がっていて、また手繰り寄ることがあるのかもしれない。別れは第一章の結末に過ぎず、お互い時を重ねた後で再開する続編がこの先用意されているのかもしれない。それは生きてみないとわからない。だからこそ別れの度に少し寂しくなっても生きて行かなくちゃいけない。このさよならは、思いもよらない幸福な未来への伏線なのかもしれないのだから。

 時々小説や映画を見ながら空想する。作品としては別れた状態で完結した登場人物たちも、僕らの知らないその先の物語では再開しているんじゃないかって。
 冒頭のシンガーソングライターはこうも歌っている、「今日は別れた恋人たちも回り回って巡り会うよ」と。だからさよならと同時に伝えたい。これまでありがとう、そして今後の展開をどうぞお楽しみにと。

(文:福場将太 写真:カヤコレ)

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