コラム

コラム2017年9月コラム「海へ…」

 時々無性に海が恋しくなる。内陸の街に暮らしているから余計にそうなのかもしれない。もちろん北海道の広い大地や雪景色も十分に心を預けられるものではあるが、海の街で育った者としてはやはり波の音や潮の香りを愛している。

 高校時代まで過ごした実家は広島県の呉市、戦時中は戦艦大和を造船した軍港の街だ。道行くセーラー姿の水兵さんたちを子供心によく憶えている。
 家から少し自転車を走らせればすぐに海に臨めた。呉港の海はその歴史の面影もあってか、華やかさよりもどこか寂寥感の漂う海だった。それでも私はそんな海が好きで、よく海辺のベンチに腰掛けては行き交う船を眺めていた。波の音というのはどうしてあんなにも心地よいのだろう。瀬戸内海の穏やかな波は、まるで話しかけてくるように優しく砂浜に寄せながら心を撫でてくれた。

 祖父の家はもっと海に近い街にあったので、家の前の通りにまで潮風が迷い込んでいた。小さな踏み切りを越えて小道を下ればもうそこは海、砂浜には足の踏み場もないほどの貝殻やヒトデが運ばれていた。寄せては引く潮という減少が幼い自分にはとても不思議で、「あそこを大和が通って言ったんだよ」なんて話を祖父の隣で聞いていた。祖父の家から帰る時に線路をまたぐ歩道橋に上ると、眼前には夕陽に輝く黄金の海…今でも色あせない風景の記憶だ。

 中学・高校時代はJR呉線で広島まで通っていたので、車窓にはいつも瀬戸内海が広がっていた。朝の海、昼の海、夜の海。青い海、緑の海、オレンジ色の海。晴れの日の海、曇り空の海、雨の海。爽やかな海、悲しげな海、厳しい海。…海は色々な顔を見せていた。
 また休日学校に遊びに行く時などはあえて船を利用したりもした。呉港から宇品港への短い航路だが、ずっと甲板に出て潮風を浴びながら至福の時を感じていた。そして高校の修学旅行では北海道の地球岬に立ち、海に囲まれたこの青い星にみんな生きているんだと今更感じた。あれが1997年の9月、もう20年前なのである。

 大学に入学した時は先輩にどこに遊びに行きたいかと尋ねられ、「海が見たい」と答えた。唖然とされながらもお台場まで連れて行ってもらったものだ。
 実は医学部卒業後、当時船医をしていた親戚のおじさんに頼んで助手にしてもらおうかと思ったこともある。さすがに臨床経験がなさ過ぎたのであきらめたが、いつかそんな仕事もできたらいいなと思う。まあ精神科医に船医のニーズがあればの話だが。

 そんなわけで私は海が好きだ。泳ぎは苦手だしボディボードもサーフィンもできない。小麦色の肌で水着美女と波打ち際を走った記憶もない。砂浜でバーベキューをしたり海釣りをしたいとも思わない。それでも私は海が好きだ。
 もう随分海を訪ねていないなあ。今度実家に帰ったら久しぶりに一日中海を感じようか。ただぼんやり海辺のベンチに腰掛けて、波音と潮風に心を預けて。

(文:福場将太 写真:カヤコレ)

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