コラム

2013年08月スペシャルコラム「刑事カイカン My Favorite Song(中)」

■第3章

 一夜が明け、ドリームワークスの面々はそれぞれの仕事に当たっていた。若きミュージシャンの突然の死は当然まだ誰の心にも影を落としている。しかしそれでも日常の波は押し寄せる。人はその中を泳がなくてはならない。川平賀子もいつものスーツに身を包み、自らの職務を遂行していた。
 午後2時過ぎ、彼女はラジオ局のロビーにいた。山岡重司は現在番組に生出演中、彼女は窓際の椅子に腰を下ろしスマートフォンでスケジュールを確認している。
「…川平さん」
 突然声をかけられ視線を上げると、そこにはカイカンが立っていた。
「あ、刑事さん…」
「お疲れ様です。いやあ、今日も暑いですね」
 夏場にコートを着て言われてもなあ…と思いながらも彼女は笑顔を返す。
「こんなところでどうされたんですか?あ、山岡なら今本番中なんですよ」
「知ってます、事務所で確認してきましたから。ここに来たのは少しあなたとお話がしたいと思ったからです。…隣に座ってよろしいですか?」
「ええ」
 彼女は少し力なく答える。カイカンは横の椅子に座った。
「川平さん、随分お疲れのようですね。顔色もよくないですし…あまり寝ていらっしゃらないのでは?」
「ええ、まあ」
「無理もありません…あんなことがあったのですから」
 カイカンは寂しそうな声でそう言う。
「はい…今でも信じられなくて」
 賀子が力なくそう言うと、カイカンは少し間をおいてから今度は低く力強い声で言った。
「本当のところを教えていただけませんか?」
 彼女は驚いてカイカンを見る。長い前髪のせいで表情はよくわからない。
「刑事さん…本当のことというのは…」
「あなたと亡くなった中田さんとの関係です」
 そこでカイカンは右手の人差し指を立てる。
「昨日事務所であなたとお会いして、少し気になったことがあったんです。中田さんが亡くなった一昨日の話しをしていた時、あなたは『中田さんが空港に着いた午後8時過ぎに電話をもらった』とおっしゃいましたね。最初は事務所で電話お受けたのかと思いました。しかしその後の会話であなたは一昨日仕事がお休みだったとおっしゃいました。つまりあなたは事務所にいたわけではない、個人の電話で中田さんからの連絡を受けたことになります。
 …引っ掛かります。中田さんは何故わざわざあなたに帰国を伝えたのでしょう?自分のマネージャーでもないのに」
 賀子は何も答えない。カイカンは続けた。
「そもそも3日間過ごすためだけに彼は何故わざわざ帰国したのでしょうか?日本との往復を考えたらかなり大変なスケジュールです」
 彼女は再び視線を落としてしまう。そこでカイカンは優しい声になって言った。
「…日本に会いたい人がいたのなら、納得がいくのですが。それに、重司が新曲を発売する前日という忙しい時にあなたがお休みを取っていたのも気になりました。それも…大切な人と会うためだとしたら納得できます」
 カイカンはそこで言葉を止める。その場にはしばしの沈黙が流れた。窓の外からは忙しない大阪の喧騒が聞こえてくる。
「…さすが刑事さんですね」
 賀子がゆっくり口を開いた。
「お願いです、このことは内緒にしておいてください」
「…重司にも?」
「…言っていません」
 彼女は視線を上げ少し厳しい眼差しでカイカンを見て言った。
「中田さんはとても大切な時期だったんです。彼の夢が大きく花開こうとしてたんです!そんな時につまらないゴシップで彼の足を引っ張りたくなかった…恋人が事務所の先輩のマネージャーだなんてマスコミに知れたら、面白おかしく書き立てられてファンだって離れてしまいます」
「わかります…あなたが空港まで彼を迎えに行かなかったのもマスコミに目撃されるのを避けるためだったんですね」
「ええ、空港は特に危険ですから。ずっとそうやって気をつけてきました」
「でももう隠すことはないのではありませんか?中田さんはもう…その、この世にいないんですから」
「それは違いますよ刑事さん」
 彼女はそこで天井を見上げて言う。
「歌手っていうのは例えこの世からいなくなっても楽曲の中で永遠に生きてるんです。CDを再生すればいつでも元気な彼がそこにいるんです。ブレイクはできませんでしたけど、それでも彼を好きだと言ってくれたファンのみんなにとって彼は永遠の思い出なんですよ。
 …こんな女のせいで、そのイメージを汚したくないですから」
 カイカンは立てていた人差し指を下ろして静かに言った。
「楽曲の中に生きている彼のために…この先ずっと自分の存在を押し殺すつもりですか?」
「だって…」
 そこで彼女の瞳から涙がこぼれる。それは頬を伝い左手の腕時計に落ちた。
「もうそれしか残ってないもん…私が彼にしてあげられること」
「…ごめんなさい」
 カイカンはゆっくり頭を下げた。そして再び沈黙が訪れる。

 クーラーが涙を渇かした頃、賀子は穏やかに口を開いた。
「すいません刑事さん…もう大丈夫です。何か訊きたいことがあればどうぞ」
「ありがとうございます」
 カイカンも優しく言う。
「それでは一昨日の夜のことを教えてください。本来なら中田さんはあなたと会う予定だったのではありませんか?」
「そうです。でも空港からの電話で、その前に1つ急用ができたと言ってました。3ヶ月ぶりだから会いたいって私が言ったら、用事が終わったら電話するって言ってくれたんです。だけど…電話はかかってきませんでした」
「あなたの方から電話はかけましたか?」
「はい、0時を過ぎてもかかってこないので心配になって…。でも何度かけても繋がりませんでした…電源が入っていなかったみたいで」
 カイカンはそこでまた右手の人差し指を立てる。
「実は午前中に府警の担当刑事に話を聞いてきたんですけど、中田さんは確かに発見された時も携帯電話を身につけていたそうです。ただ電源は入っていなかった、というより入らなかったようです…雨に濡れて壊れていた」
「確かにあの夜は大雨でしたね」
 彼女が力なく言う。
「中田さんはどんな急用ができたのか…空港からの電話ではおっしゃっていませんでしたか?」
「具体的なことは何も…」
「何か思い当たることはありませんか?」
 その問いに彼女は言葉を詰まらせる。少し待ってからカイカンが次の言葉を続けようとした時、後ろから声をかけられた。
「お~い刑事さん、こんなとこで何しとんねん。まさか人のマネージャー口説いとるんとちゃうやろなあ」
 カイカンが振り返るとそこにはエレベーターから降りてきた山岡が不敵な笑みで近づいてきていた。
「あ、お疲れ様です!」
 賀子が急いで立ち上がる。カイカンもそれに遅れて立ち上がった。
「山岡さん、今ラジオの本番中のはずじゃ…」
「ああそうや。でも今はニュースの時間やから10分くらい抜けても大丈夫なんや。それで一服したろと想ってロビーに下りてきたんやけど…まさかお前がおるとはなあ」
 そう言って山岡はカイカンを見る。カイカンは少し気まずそうに答えた。
「実は午前中に府警に寄って色々事件のことを聞いてきたんだ。それで自分なりに調べてみようと思ってね」
「それでうちのマネージャーを尋問しとったんか。川平が事件と何か関係あるんか?」
「いやいや、君を待ってる間に世間話をしてただけだよ」
 そう言ってカイカンは大袈裟に首を振る。その横で賀子も無言で頷いた。
「…そうか。まあでも俺に尋問しても同じやで。俺も中田にはずっと会っとらんかったんやから」
「…中田さんが帰国していたことはいつ知ったんだ?」
「昨日の朝や。警察から事務所に連絡があって、それで社長から聞いた。あいつはてっきりロスにおるもんやと想っとったから驚いたで。そういえば中田のマネージャーの田辺はまだロスにおるんやろか」
「いえ、社長の指示で田辺さんも急いで日本に戻ってくるそうです」
 と、賀子。そこでカイカンが言った。
「なあ重司、どこかでゆっくり話ができないかな?事件のこともそうだけど…」
「そうやな。久し振りに会えたのにこのまま別れるのも寂しいな。せやけどいつがええかな。新曲を出した時っちゅうのはプロモーションが忙しくてな、今日もラジオの後にテレビの収録が入っとる。そういえば川平、中田の葬式はどうなるんや?」
「はい、やっぱりご家族の希望で親族のみで今夜行なうようです。ですから私たちは参加できません」
「そうか。せやったら今夜はどうや刑事さん?あまり深酒はできへんけど」
「ああ、構わないけど…」
 と、カイカン。
「ちょっと山岡さん…」
 賀子が少し厳しい口調で言う。山岡は穏やかに答えた。
「わかっとる。別に中田の死を悼んでないわけやない…むしろ逆や。こんな時やからこそ1人でいたくない、それで旧友のこいつと話をしてたいんや」
「…マスコミにも気をつけてくださいね」
「おう、そうやな。葬式の夜に飲み歩いとったなんて報道されたらあかんな。じゃあ、俺のアパートにするわ。
 …それより今何時や?」
 そこで賀子は手に持っていたスマートフォンを操作して答える。
「3時7分ですけど」
「おっとそろそろ時間やな…スタジオに戻らんと。じゃあ今夜9時過ぎに俺のアパートに来てくれや。住所は川平に聞いてくれ」
 山岡はそう言うと急ぎ足でエレベーターに向かう。カイカンは静香に「わかった」とだけ答えた。
 山岡を乗せたエレベーターの扉が閉まったのを確認して賀子が静香に言う。
「歌手って大変ですよね…こんな時でも明るい歌を歌わなくちゃいけないんですから」
「そうですね」
 と、カイカンも静かに言う。
「刑事さん…さっきはありがとうございました。中田さんとのことを…山岡に黙っていてくれて」
「いえいえ。じゃあ私はそろそろ失礼しますが、最後にもう1つだけ質問してよろしいですか?」
「…どうぞ」
 そこでカイカンは少し微笑んで尋ねた。
「いやあどうでもいいことかもしれないんですけどね、一応教えてください。川平さん、あなたどうして腕時計を見ないんですか?今もそうでしたし昨日事務所でお会いした時もそうでした。時刻を尋ねられてあなたはわざわざスマートフォンを取り出して答えていた…腕時計をしてらっしゃるのに」
 川平は一瞬驚いたような顔を見せた後、少し微笑んで答える。
「刑事さんって本当に色々なことが気になるんですね。びっくりです」
「すいません」
「実はこの腕時計、時刻が狂ってるんですよ。早く直さなくちゃとは想ってるんですけど」
「ナルホド、確かに22時08分になってますね…かなり狂ってます」
 カイカンが彼女の腕時計のデジタル画面を覗き込みながら言う。
「ええ、ただそれだけのことなんです」
「…わかりました。すいません、どうでもいい質問をしてしまって。それでは私はこれで失礼します」
 そう言ってカイカンは賀子から立ち去り正面玄関に向かう。
「あの、刑事さん。山岡のアパートの住所を…」
 彼女のその呼びかけにカイカンは振り返らずに答えた。
「大丈夫です、さっき府警の刑事に教えてもらいましたから」
 そのままカイカンはラジオ局を出て行く。ロビーに残された賀子は、どんな背景にもけして溶け込まないその刑事の後姿に胸騒ぎを感じ始めていた。

■第4章

 午後9時、山岡は自室のソファに腰掛けていた。自分がその手にかけ未来を奪ってしまった後輩、もう引き返すことのできない自分、そして突如過去から現れた刑事…山岡はその3人の数奇な運命をぼんやりと考えていた。
 …ピンポーン。
 玄関のチャイムが鳴った。山岡の脳裏に一瞬一昨日の夜の光景が過る。しかし、もちろん今夜訪ねてきたのは中田ではない。山岡は鼻で笑って立ち上がった。
「おう、入れや。鍵は開いとる」
「失礼します」
 そう言ってドアの向こうからカイカンが現れる。出で立ちは相変わらずのコート姿。
「一応コンビニで酒とツマミを買ってきたよ」
「おうすまんな。まあ座ってくれや」
 そう促されカイカンはフローリングの床に置かれたテーブルの横に腰を下ろす。山岡もグラスと皿を用意するとカイカンの対面の床に座った。
「ほな、始めようか」
「ああ」
 カイカンが袋の中身を広げる。
「おう、ジャックダニエルやないか。それにコーラも」
「君、好きだっただろ」
「よう憶えとったな。おし、久し振りに俺の作ったジャックコーク飲ませたるわ。それにツマミは…おう、チャンジャやないか。これもよう憶えとったな」
「フフフ」
 山岡はジャックダニエルとコーラを調合して2人分のジャックコークを作る。そして1つのグラスをカイカンに手渡した。
「じゃあ再会を祝して乾杯や」
「ああ、中田さんの冥福を祈って、でもあるけどな」
「…せやな。ほな、乾杯」
 2人のグラスが重なる。そして山岡は一気に半分ほどを飲み干した。
「おう、懐かしい味や」
「そうだな」
「しかしほんま、不思議な気分やで。今ここにこうしてお前とおるなんてな」
「…そうかい?」
 カイカンも少しずつグラスに口をつける。
「そらそうや。お前と一番最初に会った時は絶対こいつとは仲良くなんかならんと思うとったからなあ。学生服の上にけったいなコート着て、外出る時はハットも被って…そんな高校生がどこにおる?どう考えても周りから浮いとったやないか」
「だからあれは刑事コロンボとインディ・ジョーンズなんだって。そっちこそ高1の2学期から転校してきて、バリバリの大阪弁で周りから退かれてたくせに」
「せやったか?俺は最初から人気者やったと思うけどなあ」
「よく言うよ。…なあ、最初に話したきっかけって憶えてるか?」
「…当たり前や」
 そこで山岡は微笑み、煙草に火をつけた。
「俺がお前に声をかけたんやったな。お前いつも休憩時間、廊下の隅でギター弾いて歌ってたやろ?それを偶然見かけて…こいつ、おもろいかもしれへんって思ったんや。俺もギターやっとったからな」
「しかし、いきなりやって来て『これ聴いてくれや』ってテープを渡すんだもんな。こっちは驚いたよ…しかも自作のデモテープだなんて」
「ハハハハ、まああつかましいのは大阪人のええとこやて。まあデモテープって言うてもただラジカセで自分で弾き語りを録音しただけやけどな。あの曲のタイトル、憶えとるか?」
「もちろん、タイトルは…」
「『無限の可能性のDREAM』」
 2人同時に言い、その後2人同時に大笑いする。
「ハハハハ、せやせや。今から思えばアホ丸出しの曲名やな、ハハハハ」
「フフフ、本当にね。こんな恥ずかしい曲名、今なら思いつかないだろ。でも、結局この曲で2人で秋の文化祭に出たんだったよな」
「ああ、そうやな。周りのバンドはヒット曲のコピーばかりやのに、俺らだけオリジナルでな。まあ今から思えばガキの遊びやけど…その後卒業まで毎年文化祭に出てたもんなあ…」
「客は全然増えなかったけどね」
 そこでカイカンはコートのポケットからおしゃぶり昆布を取り出しそれを口にくわえる。
「お、その昆布も相変わらずやな。ほんま、変わらんやっちゃな」
「…お互い様」
 そこで山岡は煙草をゆっくり吹かし、空になったグラスに再びジャックコークを作る。そしてまた口をつけながら言った。
「懐かしいな、高校時代か。俺ら一応は広島の名門・アカシア大学附属高等学校の生徒やったんやもんな。…ええ高校やったよな」
「ああ、そう思う」
「ほんで最初は卒業したら2人で東京行こうって言うてたんや。2人でプロのミュージシャン目指そうってな。お前も最初はそう言うてた」
「…ああ」
 カイカンはそこで昆布を飲み込む。
「せやけどお前がどうしても大学行きたい言い始めて…大学出るまで待ってくれって言うたんや。そんで俺だけ先に上京して、お前は広島に残ってアカシア大学に進んだ」
 カイカンは何も言わない。山岡は続けた。
「俺は東京でバイトしながら音楽やっとった。お前も大学休みん時は東京に来て一緒にスタジオ入ったりライブやったりもしたよな。打ち上げではこうやってよう俺の部屋で飲んだよな。…せやから俺、大学卒業したらお前は必ず東京に来てくれるもんやと思うとった。その気持ちで俺も頑張っとったんや」
 少し山岡の口調が厳しくなる。
「それやのに卒業前になって、急に『他にやりたいことができた』って言われた時には…正直ショックやったで」
「…本当にごめん」
 カイカンはグラスを置いて頭を下げる。それを見て山岡はまた微笑んだ。
「やめてくれや。昨日も言うたやないか、もう何も気にしてへんって。お前は適当に生きるヤツやない、むしろ人一倍生き方とか進路にこだわる性分や。そのお前が決めたことやから…別に俺はええんや」
「ありがとう」
 カイカンは頭を上げる。
「それに安心したで。お前は何も変わっとらんかった、コートもハットも昆布もあの頃のまんまやった。嫌なヤツになっとらんでほんまに嬉しかったで…まあド変人やけどな」
「フフフ…」
「ハハハハ、まあ変人なのは俺もやけどな。結局東京では芽が出んかった俺やけど大阪で今の事務所に巡り会えて、こうして今好きな仕事ができとる。…せやから何も問題あらへん。ほら、作ったるからもっと飲めや」
「ああ」
 カイカンも微笑んでグラスを空ける。山岡はそれを受け取りながらさらに微笑む。その後、2人は思い出の中を旅した。同じ場面の同じ記憶を持ち寄って、一緒に育てた夢を取り出して…心からそれに酔いしれた。穏やかに時間は流れ、夜は更けていく。

 深夜0時を回った頃、少し酔った様子の山岡がソファにもたれて言った。
「ああ楽しい、ほんまこんなに楽しいのは何年ぶりかな」
「…そうかい?君は自分の夢を叶えて好きな仕事をしてるじゃないか。そんな人はそうそういないと思うよ」
「…まあな」
 山岡はそう言って静かに目を閉じる。少し間をおいて、カイカンは尋ねた。
「亡くなった中田さんは…どんな人だったんだ?」
 山岡はすぐには答えず、目を閉じたまま煙草をゆっくり吹かしてから口を開いた。
「…一生懸命なヤツやったな。才能もあったし、それにすごく耳がええんや。ちょっとした音のズレとかノイズとかすぐにわかってまう。俺にも色々気を遣ってくれてな、まあ半分はお世辞やろうけど、俺に憧れてこの世界に入ったとかも言うてたわ」
「そうか…。なあ、少し事件の話をしてもいいかい?」
「ええで…俺も聞きたいわ」
 山岡はそこで目を開ける。カイカンは床に視線を落として話し始めた。
「一昨日の夜、中田さんは8時に空港に着いてそこからタクシーで自宅に戻った。自宅に着いたのは10字過ぎ、ここまでは運転手の確認も取れてる。荷物を置いた中田さんはその後また出掛けた…大雨の中を歩いてね。彼がどこに何をしに行ったのか…それはわからない。ただ死亡推定時刻は11時、遺体は明け方にアパート近くの路上で発見された。遺体の近くには中田さんの傘と財布が落ちていて、財布からはお金やクレジットカードが奪われていた…」
 山岡は黙ってカイカンの話を聞いている。
「状況から見れば、中田さんは夜道で強盗に襲われたってのが一番わかりやすい解釈だ。でも、中田さんがどこに行こうとしていたのか、大雨の中に強盗が本当に潜んでいたのか…謎はある」
 そこでカイカンは山岡に視線を向け、静かに言った。
「中田さんのアパートはこの近くだよな。そして中田さんが発見された現場も…」
「ああそうや。俺も中田も住まいは広いのが好きでな。高級マンションよりも、同じ家賃を払うんやったら街から多少離れても広い方がええねん。ここもアパートって言ってもほぼ一軒家みたいな感じやし。それにこの辺は夜も静かやしな」
 山岡はそう答える。カイカンは続けた。
「ここに中田さんが来たことはあるかい?」
「ああ、何回もあるで。よう遊びにきてた」
「…事件のあった夜は?」
 カイカンのその言葉に山岡の眼光が厳しくなる。彼は少し不機嫌そうに煙草を灰皿に放り込む。
「なあ…お前、やっぱり俺を疑ってんのか?」
 カイカンは無言のまま山岡を見つめている。
「何度も言うたけど、俺は中田が帰国してたのは知らんかったんや。最後に会ったのはあいつがロスに行く前や。当然、一昨日の夜もあいつはここに来てへん」
「そうか…。いや、疑ってるわけじゃないんだ。ただ君のところ以外に中田さんが徒歩で出掛ける先が見つからないんだ。倒れていた路上は、最寄のコンビニとも方向が違う。帰国したばかりで、しかも雨の中を散歩するとも思えない」
「確かにな…でもあいつがもし俺に会いにこようとしてたとしても、普通事前に電話してくるやろ?こういう仕事や、夜家におらへんことも多いんやから。でも一昨日あいつから電話なんかなかったで」
「そうだね、実はそれも確認したんだけど確かにそんな通話記録はなかった」
「おいおい確認したって…ほんまに俺を疑ってるやないか」
 山岡が語調を強める。
「ごめん、時々自分が嫌になるよ。でも…これも性分なんだな、あらゆる可能性を考えてしまう。もしあの夜中田さんが君を訪ねてきていたとしたら…何らかのトラブルで君が彼を死なせてしまったとしたら…。この部屋は1階だし防犯カメラもない。しかも駐車場は目の前で君の車もそこに停めてあった。車に中田さんの遺体を乗せて運び、路上に放置して強盗に見せかけることは不可能じゃない。夜でしかも大雨だ。目撃されるリスクは少ないし足跡や車輪の跡も消えてしまう」
「…すごい話やな」
 山岡は平然とそう答える。しかしその心中には不安が大きく膨らんでいた。無理もない、カイカンの推理はまさにあの夜山岡がしたことそのものだったのだから。
 2人はしばらく無言で向き合った。そしてカイカンが静香に沈黙を破る。
「でも、これはあくまで空想の話。何の証拠もない。それにそもそも君がかわいがってた後輩を殺す理由がないもんな」
「その通りや」
 そこで山岡が微笑む。カイカンも合わせて笑った。
「刑事っちゅうのは大変な仕事やなあ。まあわからんでもないわ。俺も誰かの不幸や悲しいニュースとかから曲のアイデアが浮かんだ時…自分が嫌になる」
「実はもう1つ謎があってね。本当に細かい話なんだけど、君の意見が聞きたいんだ。もちろん、君が犯人だとかそんな話じゃない」
「まあついでやし、ええで」
 山岡はそう言って壁際に立てかけてあったギターを手に取る。そしてポロンポロンと鳴らした。
「あ、ヤマミネのギターじゃないか。しかも結構高いやつ」
「ああ、先月買ったんや。まあ商売道具やから金はかけとる。…それで?もう1つの謎ってのは何なんや」
「ああ、実は中田さんのアパートからジャンパーが発見されてるんだけど、そのポケットにピックが入ってたんだ…ギターを弾く時に使うピックが。このジャンパーは帰国した時も着てたやつで、家に帰った時にそれを脱いでから出掛けたみたい」
 カイカンは山岡の演奏に興味を示しながらそう言った。山岡は弦を指で弾きながら答える。
「…そうか、まあかなり蒸し暑い夜やったからな。それでピックがどうしたんや?あいつはギター弾くから持っとってもおかしくないやろ?」
「でもそのピック、日本じゃ売ってないやつなんだ」
「そらロスで買ったんやろ。何が謎なんや?」
「その枚数がね…11枚なんだよ。中途半端だと思わないかい?自分はピックを買う時は大抵5枚とか10枚とかで買ってた」
「おいおい、謎ってのはその11っちゅうのが半端やっちゅうことか?そらお前いくら何でも考え過ぎやで」
「そうかな」
 カイカンはそこで首をかしげて見せる。
「確かに10枚で買えよって話やけど、そんなん中田の好みやろ。10枚買ったら1枚サービスやったんかもしれへんし、11が好きな数字やったんかもしれへん。それとも何か?1枚は俺へのプレゼントであいつはそれを届けにここに来たとでも言うんか?」
「いやいやそんなまさか。それなら部屋のジャンパーに11枚残ってるのはおかしいし、海外のお土産がピック1枚じゃいくらなんでも…」
「この1枚余分なピックの謎が事件の解決に繋がるんかいな?俺は捜査は素人やけど、とてもそうは思えん」
「いや、ただの考え過ぎ…だと思う。ごめんごめん、一応プロのミュージシャンに訊いたら何かわかるかなって思ってね。気にしないでくれ」
 カイカンはそこでゆっくり立ち上がった。
「じゃあ…そろそろおいとまするよ。君、明日も仕事だろうし」
「…そうか」
 山岡はギターを壁際に戻す。
「何やったら泊まっていってもええで」
「いや、帰るよ。これ以上迷惑かけるのもなんだし」
 カイカンはそう言って玄関に向かう。山岡も立ち上がりそれを見送った。
「迷惑なんかやあらへんよ。久し振りにお前と会えて、ほんまに楽しかったで。お前、明日には東京に戻るんやろ?」
「…そうだね」
「また時々会おうや、お互い忙しいやろうけど…せっかく再会できたんやから」
「そうだね。じゃ、おやすみ」
 そう静かに言ってカイカンはドアを出て行った。山岡はソファに横になる。
「ほんま…変わらんやっちゃ」
 そうポツリと呟くと、彼の瞳から涙が一筋こぼれた。

「え?明日も帰らないんですか。ちょっといい加減にしてくださいよ」
 受話器の向こうからはムーンの不機嫌な声が届く。深夜のベンチに腰掛け、カイカンはなだめるように言う。
「ごめんごめん、どうしてもまだ片付かなくてね。もう少しだけ勘弁してよ」
「まったく…そもそも今何時だと思ってるんですか、もう午前1時前ですよ!」
「え?あ、そうか。なんか警視庁を離れてるから、そっちはまだ勤務中みたいな気がして」
「東京と大阪でそんな時差があるわけないじゃないですか!こっちはもう寝てましたよ」
 ムーンがあきれたように言う。しかしカイカンはそれには答えない。何かに気がついたように右手の人差し指を立て、そのまま考え込んでいるようだ。
「警部?あの、聞こえてますか?」
「…時差。そうか、もしかしたら…」
 カイカンは独り言のようにつぶやく。ムーンの溜め息が届いた。
「警部、用がなければ私は寝ます」
「あ、ごめんごめん。ちょっと考え事しちゃってね。ま、ひとまずそういうわけだから明日もよろしくね」
「まったく…。だいたい警部は大阪で何をやってらっしゃるんですか?実は私も警部の行動が気になって山岡重司のことをちょっと調べたんですよ。彼は広島県の高校を卒業してますよね。ビンさんに聞いたんですけど、警部も確か…」
「ああ」
 カイカンは静かに答える。
「では、もしかして山岡は警部の…」
「…同級生だよ」
 今夜のカイカンはどこかいつもと違う…電話の向こうの女刑事はそんなことを感じていた。口調も態度もどこか砕けていて…そう、公人と私人の中間のような雰囲気。もちろん彼女がそんな感想を口にすることはない。
「警部はやっぱり山岡の後輩の中田一憲が殺害された事件を調べてるんですか?」
「個人的に、だけどね」
 カイカンはそこで昆布を取り出して口にくわえる。電話の向こうの声が少し厳しくなる。
「…犯人は山岡重司だとお考えですか?」
 カイカンは少し黙った後、はっきりと答えた。
「そうだね」
 今度はムーンが黙ってしまう。カイカンは続けた。
「でもまだ証拠がない。確かに彼にはアリバイもなく犯行は可能だけど、それをやったという物的証拠がない」
「どうしてそこまでその事件にこだわるのですか?わざわざ大阪まで出向いてまで…やっぱり同級生だからですか」
「…相棒だから。昔一緒にギターを持って同じ夢を追いかけてた相棒だから。でも私は途中で知らん顔してしまった。だからね、今回はそうしたくないんだよ」
 やっぱり今夜のカイカンは違う…女刑事は改めてそう感じる。そして、風貌や言動はふざけていても、その心はけしていい加減ではない上司の特性を改めて理解した。
「…わかりました、気の済むまでやってください。ビンさんには私から伝えておきます」
「ありがとう。全部片付いたら今度何かおごるから」
「それ以前に昨日のCDのお金もまだですから」
「フフフ、相変わらずだね君は」
 カイカンはそこで微笑む。ムーンの声も明るくなった。
「でもイメージできませんけどね、警部がギターを弾いて夢を追いかける青春を送っていたなんて」
「まあ、ヘタクソだったけどね。まともに弾けるようになったのは高校卒業してからかな。最初の頃はしょっちゅう弦を切ったりピックを…」
 そこでカイカンの言葉が止まる。そして表情から微笑みも消えた。
「…警部?」
 カイカンは昆布を飲み込むとゆっくりと言った。
「…ムーン、本当にありがとう。もうじき東京に戻れそうだ」
 カイカンはそこで力なく立てていた指をペチンと鳴らす。そして嬉しそうに、しかしどこか残念そうに言った。
「謎は解けた…解けちゃったよ」

TO BE CONCLUDED.

(文:福場将太)

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