コラム

コラム2018年01月「2018年学びの旅 ~とある集会in東京~」

 医者の不養生というわけではないが、医療従事者も人間である以上当然病気になったり障害を抱えたりすることはある。実際に心の医療においては自らも精神障害を抱える当事者が支援者を務める『ピアスタッフ』の持つ力が大きく注目されている。
 支援者は完璧でなければいけない、強くなければいけない…と、かつては私も勝手に思っていた。しかしよくよく考えれば支援者だって病気になる時はなるし事故に遭う時は遭う。この世に完璧な人間などいるはずもなく、仮に五体満足だったとしても人は必ず何らかの不具合を抱えている。弱点を有している。まるでそれが人間の証明であるかのように、必ず何かが欠けていて全てを持ち合わせることはできないのだ。
 よって支援者と当事者は固定の役どころではなく、ある時は支える側、ある時は支えられる側になったりしながら、人間は生きるという営みを続けているのである。

 その一つの例として、医療従事者の中には視力障害を抱える者がいる。私自身もそうであり、同じ状況の仲間が所属するとある会の会員になっている。
 1月某日、東京で行なわれたその会の集まりにおいて勉強会の講師を務めさせて頂いた。そこには医師だけでなく色々な職種の方が参加されていた。まあ勉強会といってもみんなで同じ机を囲み、日々の様々な思いを話し合って分かち合うのが実際のところ。講師といってもそんなたいそれた話をするわけでもなく、むしろみなさんの言葉から教わることの方が多かった。
 人間はみんな不完全、誰だって弱さを持っている。とはいえ障害を抱えながら支援者を務めることにはやはり葛藤がある。迷いがある。それはきっと一生消えない。しかしその消えない痛みがあるからこそ生み出せるエネルギー、たどり着く心、思い付く考え、つむげる言葉、かもし出せる姿がある。そしてそれが時として誰かの役に立てることがある。もしかしたら健常な支援者では為しえない回復をもたらすことだってあるかもしれない。
 そんな期待はきっと依存症治療で昔から行なわれている自助グループ、近年注目されている当事者研究という手法、そういった弱さを抱える者同士が集うことで大きな効果を生むミーティング治療と根底を同じくするものだろう。

 今回の参加ではもう一つ素敵な喜びがあった。それは学生時代の先輩に卒業以来の再会を果たせたこと。先輩といっても大学は違う、ただ同じく柔道部と音楽部に入っていたことで試合場やライブハウスでは度々顔を合わせてお世話になった関係だ。先輩は現在眼科医をしておられるのだが、眼科にも治療不可能な疾患は多く、抗えない視力喪失の運命の中で心を閉ざしてしまう患者さんがいる。そんな患者さんたちのメンタルケアは大きなテーマだという。

 そう、眼科や精神科に限ってのことではない。障害そのものではなく障害を抱えた喪失感・絶望感によって心の調子を崩してしまう人はけして少なくないのだ。実際癌の患者さんに関してはその心も含めてケアすべきというサイコオンコロジーという分野が育ってきているが、癌に限らずともその考え方はとても重要だ。もしかしたらそこにこそ自らも障害を抱える医療従事者の役割が存在しているのかもしれない。

 とまあ難しいことを書いてきたが、どんな人間で荒れやっぱり大切なのは元気な心で暮らすということ。同じ大変さを抱える仲間が集ってあれこれ話をするだけでも実にたくさんのパワーをもらえる。みんな普段はそれぞれの試練の中で闘っているんだなあと思うだけであたたかい勇気が湧いてくる。今回の東京遠征で人間とはお互いを必要とする生き物なのだと改めて感じた。

 最後になりますが、この度東京での会にお招き頂いた先生並びにご参加頂いたみなさん、そしてはるばる会いに来てくれた先輩に心から感謝をお伝えします。そして私が美唄のホームページで掲載している愚かな小説を毎回拝読頂いている某ボランティアスタッフさん、いつも本当にありがとうございます。帰りの機内で一つ着想できたので、次回は航空ミステリーに挑戦したいと思っております。

           

(文:福場将太)

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