コラム

コラム2014年03月『自分はまだ若い?』

先日、院内で定期的に行われている研修会に参加しました。
テーマは「高齢者疑似体験」。
白内障を疑似体験できる眼鏡をかけたり、手指の感覚を遮断するために手袋をつけながら作業をしたり、手足に重りをつけたりと、様々な苦労があることを体験できました。
膝や足首の関節をサポーターで固定して動きにくくした状態で、椅子に座ろうとしたり、立ち上がろうとすると、思った以上に不自由で不安定。
講師の方もお話しされていたことなのですが、高齢者の方々は様々な動作が決してできないわけではなく、できるのだけれども時間がかかったり、その際不安定な姿勢になりやすかったりすることがあるんだなぁと、改めて確認する良い機会になったなぁと思っております。

それにしても、我々は一体どの段階で「自分は年寄りだ」と感じるのでしょうか。
ボクも階段で息切れをしたりすると、日常的に「歳だ…」と言ってしまったりするのですが、でも心のどこかでは本当に自分が歳だとは思っていません。もちろん以前に比べれば歳はとったかもしれませんが、「お年寄り」という枠に入るなんて遠い遠い未来のことだと思っています。

でも、それっていつ訪れるのでしょうか。

世間を見てみると、80代、90代になっても、若々しく元気にお過ごしになっている方もたくさんいらっしゃいます。
思うに、きっと単純に年齢で判断できるものではないのでしょうね。
人が若さを保つ秘訣って何だろうなぁと、本や教科書をぱらぱらと見てみると、そこに関わるのは「役割」かなぁというのが見えてきました。

ある人は「もう自分の人生で何もすることがない」「周囲の生活の流れについていけない」という感覚が歳をとるということではないかと言ったそうですが、その瞬間がいつ訪れるのかは人それぞれ違うでしょうね。
「自分はまだまだ」と自分に言い聞かせる感覚って、実は大切なことかもしれません。
そう思う瞬間というのが、きっと「子供や孫のためにあれをしよう」とか「ご近所さんにこれを持っていこう」とか、「自分にはまだ役割がある」ことではないでしょうか。

ボクたちリハビリテーション課も、入院されている患者様が活き活きとした生活を送れるよう援助するために「役割」を意識することがあります。
それはちょっとした手芸の時間でも、体操の時間でも、ほんの些細なことではあるのですが、「これは難しいからあの人に任せるけど、これなら私得意だわ」「みんな遠慮するから、私が前に出てやってみるか」といったものが、実際に患者様の笑顔を引き出しているような気もします。
これは年齢は関係なさそうですね。ただただ自分の死を待つだけの日々よりも、どうせなら、たとえそれがその人にとって「仕方なく」であったとしても、役割のために何かをする生活を患者様にご用意できたらいいのではないかなぁと思ったりします。

そしてボク自身も、ほんのちょっとでもみんなの役に立っていたいと願ったりしています。

自分はまだ若い?
着ているチョッキが実は結構重いです。膝や足首もガッチリ固定されています。

(文・写真 リハビリテーション課)

前のコラム | 一覧に戻る | 次のコラム