旧美唄病院コラム

2008年12月『就労』

 毎朝、新聞に目を通すと不景気とはいうものの、大抵はバイトや正社員の求人広告が掲載されている。私も、学生時代には新聞配達をはじめ、焼肉店やラーメン屋、また夏休みには年齢をごまかして日雇い労働の案内所に行き、建設現場や引越しの日雇い労働をしたこともあった。
  日雇い労働は稼ぎが良く1日で1万円以上もらえることもあったが、仕事はかなり厳しかった。引越しの仕事では、トラックの助手席には座らせてもらえず、荷物と一緒に後ろの荷台に入れられて、暗闇の中、車が曲がるとともに荷台でゴロゴロと転がるような体験もした。
 大学では、家庭教師のバイトを経験した。初めて受け持った生徒は中学1年生で、何が原因かはわからなかったが、引きこもりになり勉強など全くしていない子だった。訪問1回目は玄関で母親が迎えてくれたが、その子は出てくることはなかったので声だけかけて帰ることにした。それから何度か訪問することで何とか心を開いてくれ、担当して約半年後には、やっとその子と勉強ができるようになり、少しずつではあるがその子のペースに合わせて中学校3年間教えることができ、高校も受験して何とか進学することができた。

 私は、学生時代からこのように様々な仕事をすることで、働くことの難しさや楽しさを学び、また人としての社会性や教養を身につける大変貴重な体験ができた。
 しかしながら、不景気のためか現在の日本の求人状況は低く、平成20年9月時点の有効求人倍率は全国平均0.84倍であり、北海道においては0.57倍となっている。特に、精神障害者も含めた障害者の雇用については、障害者雇用率制度により事業所への雇用の義務化を促してはいるが、健常者に比べはるかに厳しい状況にある。
 また、精神科に対して厚労省は今後、精神科病床を約7万床減少する方向にあるため、これからの精神科病院は退院促進を進め、1人でも多くの患者さんが社会復帰できるような体制をとっていく必要があり、その実現のためには、精神患者さんが社会復帰後の就労施設強化等の課題が出てくるだろう。その担い手として当院も様々な取組を検討し、精神患者さんが退院後も安心して生活でき、また働くことの喜びや楽しさ、社会性を養える場を提供していき、職員皆で美唄に根付いた地域医療の実現を目指している。

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