コラム

2010年12月『こうもり傘』

今年は12月に入っても雪ではなく雨の日が多い。そんなわけで傘をさして出勤することも多いのだが、よくやってしまうのがそのまま職場に傘を置いて帰ってしまうポカだ。傘は次から次へと職場に引越しし、気がつけば自宅の玄関に傘がなかったりする。
 つい先日も朝家を出ると激しい雨。こりゃ大変だと玄関の戸棚を見ると…傘がない。井上陽水のあの名曲を口ずさみたくなるがそんな場合ではない。早くしないと送迎バスが出てしまう。もうぬれながらいくしかないかと思ったとき、ふと思い出した。そうだ、あの傘があったはずだ…。そして、棚の奥くから1本のこうもり傘を取り出した。どこにでもある黒いこうもり傘こいつにはちょっとした物語が宿っているのだ。

大学時代、私は3年間学生寮に暮らしていた。築数十年というその寮のとなりにはこれまた江戸時代の名残のような小さな下町通りがあった。車一台やっと通れるくらいの細い道の両脇には肉屋にパン屋、金物屋、銭湯…幼い記憶の中の昭和の町並みと重なるその通りが、私はとても好きだった。そして、あの床屋もそこにあった。
とても物腰のやわらかい床屋のおじさんは私の髪を切りながら色々な話を聞かせてくれた。学生寮の歴代先輩たちの珍事件。昔はもっともっと活気があったという町内会の祭、床屋業界の裏話などなど。バンドにはまった私のわけのわからん髪形注文にも、おじさんは苦笑いで応えてくれた。まだ、おじさんの娘はまだ幼く、散髪中の私のまわりを走り、私を指差して「変な髪!」と笑っていた。「遊びに行ってきます」とその子は飛び出し、「車に気をつけるんだぞ」とおじさん。「遊びに来たよ」と入ってくる近所の男の子、「肉屋のケンちゃんとこ行ったぞ」と私の髪を切りながら答えるおじさん…平和を絵に描いたような穏やかな時間がそこには流れていた。私は学生寮を出た後もその床屋に通い続けたのだった。
北海道への就職が決まり、東京を発つ前日も私はその床屋に行った。相変わらずの時間は流れ、床屋を出ようとした時、外は雨だった。おじさんは傘を貸してくれようとしたが、私はもう家も引き払っていたし翌日早朝の便で飛ぶから返しにこれないことを伝える。「いいから持って行きな」と握らせてくれたおじさんの傘…それがこのこうもり傘である。

イメージあれからもう随分と時が流れました。あの床屋は今もあの小さな通りにあって、おじさんはあの穏やかな時間の中でお客さんの髪を切っているのだろうか。あの娘さんも大きくなって、ケンちゃんとの関係におじさんをヤキモキさせていたりするのかもしれない。こんな時代になってしまったけど、あの通りだけはあのままでいてほしいと思う。
結局お互い一度も名前を名乗ることはなかったけど、おじさん、もう一度この傘にお世話になります。

時の流れは本当に速い。もう今年も終わりです。もしかしたら精神科医療ってやつも、患者さんが帰る時に傘を渡してあげるようなものなのかもしれないな。な〜んて、久しぶりに差した傘の下で思ったりしている今日この頃。

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