コラム

コラム2017年09月「秋の夜長に心の名作⑱ 爆裂スーパーファンタジー」

 自分を支えてくれる心の名作をご紹介する秋限定のこのコーナーもいよいよ今年で完結。残すところあと3作品、胸いっぱいの敬愛と感謝を込めて書かせて頂こう。
 作品の発信とこちらの受信、その二つの波長がぴったり一致した時にそれは名作として深く心に刻まれる。逆に言えば少しのずれで名作になることなく通り過ぎている作品が人生にはたくさんあるということだ。だからといってタイミングを計算すれば名作に出会えるというものでもない。その大部分はたまたまの偶然によってもたらされる。
 今回ご紹介する心の名作は、中学・高校時代に巡り会えたラジオ番組『爆裂スーパーファンタジー』、通称爆裂である。この番組が僕の人格形成に大きく寄与したことは今更もう否定しようがない。

■福場的解説  この番組のメインパーソナリティは嘉門達夫(現・嘉門タツオ)氏。「替え唄」「おるおる」「あったらコワイ」などの嘉門ワールドのネタをリスナーから募集し番組で紹介するという内容だ。アシスタントパーソナリティは当時同じ事務所に所属していた鈴木彩子氏とジ・イングリーズ。一時間の放送はほとんどがネタコーナーで構成され、流れる楽曲も彼らを中心とした同じ事務所のアーティストばかりという、言うなればかなり対象者を限定した内輪の雰囲気が強い番組であった。そして偶然出会ったその波長が、中学生だった僕のアンテナをビリビリ反応させたのである。

中学1年の時たまたまクラスの何人かがこの番組の話をしており、それでこれまでほとんど聴いたことのなかったラジオというものに耳を傾けてみたのが始まりだった。いつしか毎週番組を録音し何回も何回も聴いていた。ハガキを送って初めて読んでもらえた時の興奮は今でも鮮明に憶えている。そして翌朝クラスメイトから「昨日お前読まれたな」「賞品が届いたら見せてよ」と言われるのがとってもくすぐったかった。
 爆裂は全国どこでも聴けたわけではない。もともとは瀬戸内のみのローカル番組『脳天爆発ファンタジー』だったのがやがて東京・名古屋・大阪を含めた全国規模の『爆裂スーパーファンタジー』になったが、それでもネットされていない地域の方が多かった。そしてやがて三大都市の放送は終了し再びローカルのみのネットになるなど、極めて放送局の増減が激しい番組であった。そんな中僕の住んでいた広島は継続的に放送してくれていた。残念ながら最終回の三ヶ月前に広島の放送はなくなったが、僕は海の向こうのFM愛媛の電波を拾うことでなんとか最後まで聴くことができた。最終回はちょうど高校3年の誕生日のタイミングだったので、何か人生の一つの時代が終わったような寂寥感を覚えたのを記憶している。
 その後大学進学で上京しても、番組を録音したカセットテープは持って行き、相変わらず僕の生活の中でヘビーローテーションしていた。
 就職して北海道に来た頃、ちょうど嘉門氏の新番組がインターネットテレビでやっていたので久しぶりにそちらにネタを送ってみた。嘉門氏が僕のペンネームを憶えていてくれたことも嬉しかったし、その番組に電話出演したりポイント獲得一位になれたのはちょっとした自慢である。やがてその番組も終わり、爆裂のテープを聴くこともなくなって10年が過ぎた。

 そして今年、このコラムを書くに当たって爆裂のテープを聴いてみた。今回はせっかくなのでテープからmp3の音声ファイルに変換しながら聴いた。約半年かけて200本以上を聴いたことになる。カセットテープの山がこんなに小さなUSBメモリーに収まってしまうことに文明の利器の進化を感じた。

 思えばもう20年前の音声になる。だがそこにあったのは懐かしくて暖かくて幸福な空気だった。心を鷲掴みにされたあの時の感覚が蘇って全身を駆け巡る。当時の嘉門氏は今の僕くらいの年齢だ。リスナーのネタを大騒ぎしながら読んでいる。彩子氏はまだ20代前半、嘉門氏と良い意味で対照的なコントラストを放つメッセージコーナーでの文才が光っている。そしてジ・イングリーズの二人もまだ30歳前であり、歌うことの喜びと笑うことの大切さを感じさせてくれる。
 当時は電子メールが普及していなかった時代。リスナーからの投稿は全て肉筆のハガキで行なわれていた。常連リスナーは何千枚ものハガキを書いた。そして秘密基地(収録スタジオ)に招かれ番組に参加したリスナーもいた。そう、リスナーの大部分は中学生・高校生だったが、爆裂はリスナーとパーソナリティの距離が近く、心が通いあっている雰囲気があった。そう、まさに「爆裂の仲間」だった。

 爆裂の発しているメッセージは一言で言えば「青い」。頑張って夢を追いかけよう、悲しい時こそ笑おう、みんな幸せになれる…。そんな理屈では乗り越えられない苦難が人生にたくさんあることはやがて誰もが思い知らされる。でも大人になった今聴いてもやっぱり思う。確かに青いけれど、やっぱり自分は彼らのメッセージが好きなんだと。思いどおりにはいかないけれど、やっぱり好きなことを大切にして生きていきたいと。
 きっと爆裂スーパーファンタジーに胸躍らせた仲間は日本中に今でもたくさんいるだろう。そして普段は忘れていても、またあの感覚を思い出せるに違いない。あの頃のペンネームを名乗り合っていつか爆裂同窓会ができたら嬉しい。

 思えば嘉門氏並びに爆裂から受けた影響は大きい。ギターを始めたのもそうだし、今でも部屋の棚には彼らのCDが並んでいる。当時独身であることをネタにしていた嘉門氏と同じ年齢になった僕も未だに独身で同じような理屈を言っている。
 しかし嘉門氏からもらった一番の贈り物は、「何か面白いことはないかと思い続けながら暮らす習慣」である。番組にネタを投稿しようと思ったら、毎日24時間ネタを探し続けることになる。そうすると見慣れた風景も、なんてことない出来事も、全てが面白味を帯びてくるのだ。心に網を張って生きるとでもいうのか、そうすることによって色々なものが心に引っかかってくる、気付かされる、発想の材料になる、平凡な毎日が奥深く味わい深くなる。この癖をつけてもらったことが爆裂を聴いてよかったと思う一番の理由である。

 青いかもしれない。しょうもないかもしれない。けして全国規模にはならない内輪の盛り上がりかもしれない。それでもあんなにワクワクして大笑いできるのならこれほど幸福なことはないだろう。
 21世紀はインターネットが普及しあの頃より何倍も便利になった時代だ。でも匿名での誹謗中傷が飛び交い、それを恐れての日和見発言が横行する時代でもある。
 爆裂はそうではなかった。顔も知らぬリスナー同士が思いやり、自由に無鉄砲なネタで笑えた。不謹慎とか不適切発言とかはけして言葉だけの問題ではないのだろう。そこに優しさと暖かさがあれば、全ては受容され誰も傷つけることはないのだ。爆裂には理想のコミュニティが実現していた。

 ラジオは一人で聴いている人が多いメディア。顔は見えないけどだからこそ声と音楽、そしてリスナーのハガキに込めた思いが直接心に届くメディアなのだろう。
 昨今は電子メールでリスナーからのおたよりを募集している番組が多い。確かにその方が簡便だけれど、やはり肉筆で自分が書いたハガキを今まさに嘉門氏が手に取って読んでくれているという興奮はメールでは味わえない。
 携帯電話もなかったあの頃。ラジオ越しに自分のネタで笑ってもらい、一人ベッドの中でガッツポーズしていた少女がいただろう。学校では目立てなくても爆裂の中ではヒーローだった少年がいただろう。偶然このコラムにたどり着いたあなたも、もしかしたらそんな子供だったのかもしれない。

 たまたま爆裂が放送されていた地域に放送されていた時期に暮らしていた。全ては偶然ではあるが、青春時代にこのようなラジオに出会えたことを幸運に思う。そしてまたいつかそんな素敵な偶然が起こったら、嘉門氏の番組にネタを投稿してみたいと思う。

■好きなセリフ
「自分の好きなことを見つけた人間の勝ちなんですよ」
 嘉門達夫

(文:P.N.快感な男 こと 福場将太)

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