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コラム2012年11月『秋の夜長に心の名作(3) 天空の城ラピュタ』

 まあこれはもう今更私なんぞが紹介しなくても多くの人が愛する文句なしの名作でしょう。もう何度も観ているはずなのにテレビでやっていたらついまた観てしまう、そしてまたドキドキしてしまう・・・そんな映画「天空の城ラピュタ」を秋の夜長に改めて味わってみましょう。

■ストーリー
 かつて天空にあったとされる伝説のラピュタ帝国・・・それを見つけるためムスカ大佐が動き出した。ゴンドアの谷で静かに暮らす少女・シータはラピュタの手がかりである飛行石を持っていたためムスカに捕らえられてしまう。しかし飛行艇で連行される途中、飛行石を狙う海賊・ドーラ一家の介入によってシータは地上に落下、彼女を助けたのは見習い炭鉱夫の少年・パズーだった。シータを守るため、そしてラピュタを見たという父の姿を追いかけるため、パズーは飛行石をめぐる争いに身を投じていく。
ドーラ一家とムスカ率いる軍隊に追われるシータとパズー。やがてシータはラピュタ一族の末裔であること、そしてムスカの正体と真の目的も明らかになる。ついに発動した飛行石の光に導かれ、ラピュタへの道が開かれた。それぞれの思いを胸に、彼らはラピュタに降り立つ。

■福場的解説
 映像・脚本・音楽の見事さ、シータの優しさとパズーの勇気がつまった傑作冒険活劇であることは重々承知しています。それがこの作品の本質だと想いますし、少年少女のドキドキワクワク冒険ストーリーとして楽しんで何の問題もありません。その名シーンを挙げていけば夜が明けてしまいます。しかしこの作品、大人になって改めて観ると冒険の裏に流れる世界観まで実にしっかり練りこまれていることに驚かされます。ここは1つ、そんな視点で考察をしてみましょう。
 その視点とは、「文明論」です。この作品には2つの文明論の対立が描かれているように思います。かつて圧倒的な科学力で全世界を支配したラピュタ帝国、ムスカは「ラピュタは滅びぬ、何度でも蘇るさ!ラピュタの力こそ人類の夢だからだ!」と叫びます。それに対してシータは言うのです・・・「どうしてラピュタが滅んだのかよくわかる。土から離れては生きられないのよ」と。
 産業革命の時代、確かに人間は科学の進歩が生活を豊かにすると信じていたのかもしれません。科学力こそが全てだとするムスカの考え方はけしておかしくなかったのかもしれません。でも現代においてはどうでしょうか。科学が進歩したからといって必ずしも豊かになるわけではないことを多くの人が感じています。便利や裕福を追求するよりも、シータの故郷のような穏やかな生活こそが豊かだとする人たちもたくさんいます。科学力を追い求めるムスカと自然との共生を説くシータ、玉座の間でのこの2人の対峙は、「人間はどう生きるべきなのか」「豊かな文明とはどうあるべきなのか」・・・そんなことを考えさせてくれます。最新鋭の化学技術を結集したラピュタの中枢にまで植物は生い茂っていました。北海道の雪に覆われた町並みを見た時にも私は同じことを感じます・・・自然の力には人間なんて遠く及ばないのだと。
 ラピュタは何故滅んだのか、2つの王家は何故分かれたのか、そして何故滅びの呪文が伝承されたのか・・・そんな語られぬ物語背景に想いをはせるのもまた違った味わい深さがあるように思います。観れば観るほど味わい深くなるこの名作、声優陣の名演技もご堪能あれ。

■私への影響
ラピュタが好きだという人と出会った時、その人のお気に入りシーンを聞くのが人生の楽しみです。有名シーンを挙げる人もいれば、「目玉焼き食パン」「お父さんの形見のゴーグル」「水に沈んだ街」など細かいポイントを挙げる人もいます。さり気ないシーンがどこか心をくすぐるのもこの作品の魅力なんでしょう。あとパズーのテーマソングである「ハトと少年」、いまだにラッパを練習中ですが吹けません。

■好きなシーン
当直でタイガーモス号の見張り台に上がったパズーとそれを追いかけてきたシータ。夜明け前の空で話しをする2人、それぞれ別の生活をしていたのに数奇な運命に導かれ今ともにラピュタに向かう船の上・・・。自分ではどうしようもない事態に巻き込まれて、それでも懸命に前を向こうとする。大人が想う以上に、子供は子供でしっかり考えているんですよね。今やすっかり盗み聞きしていたドーラさんの気持ちの私です。

■好きなセリフ
「石を捨てたってラピュタはなくならないよ」パズー

(文章・福場将太 協力・瀬山夏彦)

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