コラム

2022年06月「健康の基準」

 心の健康を扱うのが精神科医療であるが、そもそも健康な心とはどのような心なのだろう。「何が病気か」という診断基準は時代によって変わっていくが「何が健康か」といういうなれば健康基準はどうなのだろう、これも時代によって変化していくのだろうか。

 世界保健機構(WHO)は人間が目指すべき状態として『Healthness』ではなく『Well being』という言葉を用いている。これは必ずしも病気や障害がない状態を表す言葉ではなく、それらがあっても充実感や希望を感じて自分らしく生活できている状態を指す。ただどう和訳するかが難しいところで、いわゆる『健康』としてしまうとどうもニュアンスが異なり、『幸福な状態』としてしまうとなんだか宗教的になってしまって医学的ではない。だから今のところ『ウェルビーイング』とカタカナで使ってしまうが、横文字をそのまま使っている時というのは大抵しっかり理解できていない時なので、本当は上手い日本語を当てたいものである。案外『元気』あたりが妥当なのかもしれない。

 自分自身はどうだろう。元気な心身でいられているだろうか。独自の基準を設けるなら、おいしくごはんを食べられている時は元気であるように思う。今日のお昼ごはんは何だろう、今夜は何を食べよう…まあ食べ過ぎて肥満のリスクもあったりするが、ひとまずそんなふうに思えるのは心が元気な証だと思う。そしてもう一つは、ギターの弾き語りができているうちはやっぱり元気なんじゃないかなとも思う。楽器を演奏するには少なからずの体力・集中力が必要だし、唄を歌うには心の元気が不可欠、やっぱり楽しく歌えるのは楽しめる心があってこそである。

 あなたの健康の基準はどんなことだろうか。そして今、あなたの心はその基準を満たしているだろうか。病気や障害がないことがイコール健康とは限らない。ついつい医学は病気の話ばかりしてしまうけれど、時には健康について考えてみるのもよいだろう。

(文:福場将太)

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