コラム

2012年03月『親と子』

 外来をやっていると、時として親子の悩みに出会うことがある。相談に来るのが親の場合もあれば、子供の場合もある。もちろんその中には薬などを用いて治療していかなくてはいけない病気が関連している場合もあるのだが、いわゆる「親子関係の悩み」という一般的な相談も少なくない。3月は卒業の季節、親子関係の悩みの中でもとりわけ多い「子供の進路を巡る親子の見解の相違」・・・今回はそんな話をしてみようか。

 まあ正直、これは精神科医がどうこうする以前にどこの家庭でも当たり前に起こる悩み、多くの親子が通らねばならない難所だろう。うちの職員さんの家庭だって、私自身にしたってけして他人事ではない。まあ中にはたいした揉め事も無く親の希望と子供の希望が一致する家庭もあるのだろうが、それにしたって多くの場合どちらかが相手に遠慮して合わせているんだろうなと思う。親と子供は生きてきた時間も時代も違う。そしてそれぞれが人格を持った別々の人間だ。進路についての見解が異なるのも当然だろう。多くの親は「1回しかない人生、子供には失敗してほしくない」と思っている。子供は「1回しかない人生、失敗してもいいから好きなことをやりたい」と願う。親は思う、「世の中そんなに甘くない。失敗することがどれだけ悲惨か子供はわかってない」と。子供は思う、「失敗したときのことなんか考えてたら何も出来ない。なんで親はお金とか安心とかの話ばかりするのだろう」と。・・・どっちもどっち、間違ってないですよね。そしてどちらも正しくない。それぞれの意見には当然それぞれのエゴがある。「親は同じ仕事で子供に負けるのが嬉しい」なんて言葉があるが、これだって子供からすれば勝手な話。親のエゴは「子供にはいつまでも自分のいうことを聞いてほしい。子供が自分の仕事を継ぐということは自分の生き方が認められることだ」。中には「私の若い頃はそんな自由には生きられなかった。そんなの許さない」というジェラシーだってあるかもしれない。逆に子供のエゴは「親の存在はありがたいけど邪魔はしないでほしい。都合のいい時には逃げ込みたいけど普段はほっておいてほしい」。まあそんなこんなで子供の進路をめぐる親子の対立は熱を増してしまうのでしょう。

 私自身の経験では、・・・まあご他聞に漏れず高校卒業後どうするかってのをめぐって何度も話し合いをしたのを懐かしく思い出す。特に私は「誰かの思い通りにならされる」のが嫌いな天邪鬼な性分なので、「そもそもなんで大学に行かなくちゃいけないんだ」と随分親にかみついた。そのときはどうして母親が泣いているのかもよくわからなかった。そして結局親との話し合いが特に実を結ぶでもなくしかし別の動機によって私は医学部進学を決め、親の望む方向とも一致して親子の対立は終結した。別に親子がわかりあうことをあきらめているわけではないが、今では「親と子供の見解は違って当然」と割り切って人生を生きている。一番驚愕したのが母親に「あなたが国家試験に受かったときお父さんは人生で一番喜んでいた」という言葉を聴いたときだ。そんなもんが嬉しいのか、とこちらは逆にがっかりしたのをよく憶えている。少なくとも当時の私にとって国家試験合格は感慨を感じるものではなかったし、人生で嬉しかったことのベスト10にも入らなかった。それよりももっと褒めてほしいことや認めてほしいことはたくさんあった。・・・ま、でもしょうがない、そういうものなのでしょう。私だって、親が尊敬してほしいと思っているポイントで親を尊敬しているかと言われると自信がない。

 とまあ、とりとめのない話をしてきたが、大切なことは「結局その人生を生きるのはその人」ということ。いくら親が保障する、責任取るって言ったって結局子供の人生を生きるのは子供本人である。何かが起こったときに本人が責任をとるしかない。「お父さんのせいでこうなったんだ!どうしてくれるんだ!」なんて言葉を言ってしまったらその進路は大失敗だろう・・・親にとっても子供にとっても。その意味ではやっぱり最終決定は子供本人に任せるべきだと思う。そしてもう1つ大切なことは「この世に生まれてきた以上、シガラミは必ずある」ってこと。その人の人生はその人のものだけど、だからといってやりたいことを自由にやれるほど世の中は甘くない。やはりその家に生まれた以上、無視できない事情はあって当然。子供はそのシガラミも意識しながら、それでも自分の人生を幸福にする工夫をしなくてはいけないと思います。

イメージ まあ、あと1つ個人的に付け加えておきたいのは「親と子、どっちの言葉も結構いい加減」ってことかな。ぜひいい意味でとらえてほしいが、何年か経ったら親も子供も気が変わってることはよくある。高校卒業のときはあれだけ目くじら立てて説教された親の信念、今、話をしているとあっさりそれを覆して真逆のことを言ってたりする。オイオイ、あの時の言葉に責任を持ってくれよ、なんて思ったりもするが、子供は子供できっと親からみれば「お前あの時はああ言ってたじゃないか」って事がきっとたくさんあるんだろうからまあ、おあいこかな。  極論を言えば人生は結果オーライ、子供が幸せになれば文句を言う親はいないだろう。でも幸せになるのは簡単なことではないからやっぱり進路を選ぶときは吟味に吟味を重ねないといけません。話し合ってぶつかり合って・・・どっちが折れるかは家庭それぞれ。でもそうやってようやく決定した進路ならば・・・それは正解でしょう。

 せっかくの卒業式、卒業証書は未来からの招待状、親も子も笑顔で迎えられるといいですね!

(文:福場将太 写真:瀬山夏彦)

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