コラム

2009年8月『ヒロシマ』

 僕は広島の出身だ。平和都市として知られるこの地に生を受け、高校卒業まで暮らしていた。
 他の都道府県の事情はわからないが、広島の学校では毎年この時期になると『平和教育』というものが行われる。夏休みでも学校に集まり、戦争や原爆にまつわる映画を観たり、文章を読んだり、実際に体験した人の話を聞いたりしたものだ。火垂るの墓、まっくろなお弁当、その他タイトルは忘れてしまったが戦火の中お地蔵さんの涙を飲む話や千羽鶴少女の話など、今でも脳裏に焼き付いている。実際にとある中学の受験には原爆投下の位置を地図で示させる問題が出たこともある。そのくらい広島は平和や戦争に対する意識が強い。
 だから、広島から東京に出た時、周囲の人たちがあまり原爆の日時などについて知らないことに少し違和感を覚えた。また、原爆を茶化したような話を聞くと、冗談でも不愉快な気分になったりした。もちろん、それがいけないというのではない。地域にはそれぞれの文化や歴史がある。東京の人は東京大空襲について広島の人よりも思い入れが深かったりするのかもしれない。それが当たり前だ。戦争に対する見解だって、人それぞれだろう。
 僕自身だって戦争を経験している世代ではない。終戦を迎え30年以上たって生まれた、言うなれば『戦争を知らない子供たち』を知らない子供たちだ。しかし、それでも広島の片隅には、戦争の痕跡が残っていたように思う。原爆ドームだけではない、遊んでいた公園には封鎖された防空壕がいくつもあったし、街中には原爆によって金属製のドアがひしゃげた建物があったりした。確かにかつてこの地には戦争というものがあり、人々はそこに生きていたということだ。祖父や祖母の話は確かにこの地で起こった現実なのだということだ。今回はそんな話をしてみよう。

 僕の父方の祖母は、戦争の渦中を生きた女性だ。だからなのか、もともとの性分なのかはわからないが、僕は彼女をとても強い女性だと思う。1本早い電車に乗ったおかげで爆心地を離れ、祖母は原爆を逃れた。しかし、その目で街が消し飛ぶところを見た。大きなキノコ雲を見た。そして、1本あとの電車に乗った友人は被爆し、祖母も原爆によって母親を失った。ほんの数秒、数メートルの違いで生死がわかれる状況、たまたまそこにいたことで命を落とし、たまたまそこにいなかったことで命拾いをする状況……それは、今の僕たちには想像もつかない世界だ。
 そんな時代をくぐり抜けた祖母は、何事にも動じない。慌てふためいている姿なんて見たことがない。祖父が他界した時も、祖母は病院に駆け付けた孫たちに「おじいちゃんはいい人生を生きて死んだんじゃけえ泣くな! 泣くようなつまらん人生じゃありゃせん!」と諭し、葬儀の席でも一度も涙を見せることはなかった。僕が国家試験に失敗した時も、両親は動揺していたが祖母は「1回や2回どうってことありゃせんわいね、若いんじゃけえゆっくりやんなさい」と笑って言ってくれた。
 ……強い。本当にそう思う。今でも祖母はほとんど子供たちに厄介になることなく、1人で広島の片田舎に暮らしている。時々電話で話しても、山歩きに行った話や美術館に行った話、孫たちの近況ばかりで、辛いとか寂しいとかは一切言わない。ちょっときついこともあるけど、今の僕たちにはない強さと気丈さ、弱音を吐かない根性を祖母は持っている。

 祖母の目には、今の時代はどう映っているのだろう。子供たちや孫たちの姿はどう映っているのだろう。
 やりたいこともあきらめたのがあなたの世代の悲劇なのだとしたら、やりたいことが見つけられないのが今の子供たちの悲劇かもしれません。お国のために死ぬなんてしなくてもいい時代です。でも自分勝手に死んでしまう、死なせてしまう時代です。
 日本は平和になったのか……正直それは言えません。でも、幼い頃父方の祖父も祖母も、母方の祖父も祖母もみんな口を揃えて言っていた。「平和な時代になったんだから、好きなことをすればいい」と。僕たちは普段暮らしていて、そんなに平和というものを実感することは少ない。もしかしたら、戦争を知らなければ平和はわからないのかもしれない。だとしたら、これからも戦争を繰り返さず平和を守り続けるためには、祖母たちの伝えてくれる言葉がとても重要なのではないだろうか。

イメージ もちろん、どんな時代のどんな世代にもそれぞれの悩みがある。一概に昔と今を比べてどちらが恵まれているかなんて言えない。でも、祖母たちは今の僕たちに欠けている大切なものを確かに知っている。
 戦争知らずの孫たちに祖母は教えてくれる。生きていることの素晴らしさ、生かされることの有り難さ、そしてあの夏の日の暑さを。そして祖母は願ってくれる。僕たちがいつまでも戦争知らずであってくれたらと。年寄り染みた話かもしれない、半世紀以上も前の昔話かもしれない。でも、怖がらせるためではない。過去のいざこざを現在に持ち込もうとしているわけではない。大切だと思うから話してくれるのだ。

 おばあちゃん、あなたが伝えようとしてくれていることのいったいどれくらいを僕はわかっているでしょうか。広島の夏は今年も暑いでしょうか。
 いつも本当にありがとうございます。
 また時間を見つけて帰省しますので、その際はどうぞお手柔らかに。

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